諏訪山(300名山)〜少しだけ秋の気配〜


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 1,264m
- 下り
- 1,264m
コースタイム
8/18 21:15 東伏見発⇒0:15浜平P着
8:19 5:00起床
5:25P発
7:45三笠山手前の小祠・碑のある1450mピーク着 沢の音がサーと聞こえる。ガスがすこしずつ上がっていく。静か。
7:55同発
8:05三笠山通過
8:30諏訪山頂上着 朝陽が出てくる。ハエがうるさい。
8:40同発
9:05三笠山通過
10:00湯ノ沢ノ頭着 カミさんに電話。携帯が通じた。雲行きが怪しい。風が吹いてきた。
10:10同発
11:20P着 晴れた。セミが鳴いている。暑い。
天候 | 8/19 曇り〜晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
練馬・東伏見=所沢IC=[関越自動車道]=藤岡JCT=[上信越自動車道]=下仁田IC=[県道45号・下仁田上野線]=[国道299号線]=[県道124号・上野小海線]=浜平P [復路] 浜平P=しおじの湯=御巣鷹の尾根入口=上野村=秩父=飯能=所沢=東伏見 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆浜平P 下仁田ICよりナビに従ってPまで。最後のトンネルを越えると向かって左側に細長い駐車場がある。20台から30台は停められる。 ◆登山口〜湯ノ沢ノ頭 ・登山口は駐車場の脇から。いったん、大神楽沢にくだり、対岸に渡ったあとその鼻を回り込み遡行する湯の沢の左岸にそのまま導かれる。 ・登山口すぐで二手に分かれるが左は虎王神社の鳥居経由、右は鳥居の脇を通り合流することになる。お墓の脇を通って木橋で大神楽沢を渡る。 ・対岸に大きな諏訪山のカンバンがありその左から登っていく(看板の右を登るフミアトがありそれに入ってしまった記録があるが、その先の墓地にある東屋の左側を通ればふたつの道は合わさる) ・その先で下から斜めに上がってくる道は戸数8戸の浜平の集落から上がってくる旧諏訪山の登山道だ。神流川を渡る鉄製の吊り橋を経由してくる。 ・トラバース道が続くが、昔はここはトロッコ道であったところで、以前は傍らにトロッコの車軸が放置されていたりした。湯ノ沢の奥にはいくつもの鉱山があったらしい。 ・廃屋の脇を通るが、これは以前の営林署宿舎。この2倍ほどあったと聞くが、今では半分は壊されてひっそりと建っていてやや不気味。中を覗くがガラクタが置いてある。どういうわけか「入山禁止」のカンバンがあり、登高欲を刺激される(笑)。 ・すぐに下の湯の沢に下るフミアトがあるが、直進方向に諏訪山へのカンバンがあり直進の道をとる。左手の道は沢中にある炭焼小屋?への道。 ・その先でフミアトは沢の中に入りしばらく左岸を行き堰堤のところで右岸にわたる。 ・そのあとは左岸から右岸、右岸から左岸へと何度か徒渉を繰り返しながら高度を稼ぐ。 ・フミアトはしっかりしているし、頻繁に赤布や赤テープ、指導標・カンバンの類がでてくるので心配はない。 ・つごう湯ノ沢ノ頭に行くまでに右岸から4つの支沢を渡るが、特に4つ目の支沢は、そのまま本流と間違えて直進してしまった記録も見たのでやや要注意。フミアトが怪しくなったらそれは間違いで対岸にケルンなどを探せば見つかるだろう。(なお3つ目の沢は水量に乏しい) ・水がなくなると同時に右岸の山腹をジグザグに上がりはじめ、最後は湯ノ沢ノ頭から西南西に派生した尾根上に飛び出す。 ・尾根に乗る場所には指導標があり、帰路、直進しないようになっている。 ・尾根上のこぶをひとつ越えて湯ノ沢ノ頭。指導標あり。 (なお、1・25000地形図ではその表示がないが、1240mの等高線のべろに囲まれた場所が頭。楢沢への道はその突起の数m北東側を巻いて北に向かっている。) ◆湯ノ沢ノ頭〜三笠山 ・湯ノ沢ノ頭からは美しい自然林の中を歩く楽しい尾根道。 ・湯ノ沢ノ頭の南東にある1260mのこぶは右から巻く。 ・・1304のこぶは東から巻く。 ・・1365にかかると登りになる。このこぶも北西斜面を斜上し巻いてしまう。 ・6畳ほどの広さの廃屋が出てくるが、これが「弘法小屋」である。トタンでできており屋根も穴があいて使用には堪えない。(1986年版「東京周辺の山」(山と溪谷社)を見ると避難小屋宿泊の場合には寝具等を持参と書いてあるので昔は宿泊できたようだ) ・やがて尾根が痩せてきて急な梯子が2カ所あり、それをしのぐと、御嶽座王大権現・三笠山刀利天という小祠・碑のあるピーク(地形図上の三笠山の北東にある1450mの小さな丸がそれ)に着く。このピークは北西側直下で巻くこともできる。 ・そのピークからの三笠山は聳え立っており登ることが不可能なように見えるが、登山道は右手から巻いていくことになる。 ・いったんくだりロープや梯子を使い、三笠山の露岩を右側から巻いて頂上に出る。頂上には小祠(御嶽講の三笠山刀利天(みかさやまとりてん))図根点の石標。展望がよい。絶好の写真ポイント。 ◆三笠山〜諏訪山 ・三笠山の直下には5mくらいの岩壁があり2本のクサリ・ロープが垂れている。フットホールドはしっかりしており、それほどの危険はないが慎重さを要する。 ・一転してやさしい山相になり自然林の中を鞍部までくだる。 ・鞍部から東へ白水沢ぞいに下って乙父(おっち)の林道に出ることもできるようだが、(簡素な指導標があった)それほど踏まれているようには見えなかった。 ・そのあと一気に登ってあっけなく諏訪山の頂上。頂上は展望がなく三等三角点が埋設されている。山名表示板あり。 ・このピークも今日の登り方では見てくれがハッキリしないが、見る方向によっては、鋭鋒に見えるらしい。そのような諏訪山を見てみたいものである。 ・ハエ・アブが多い。 ◆帰路 ・往路を戻る。 ・諏訪山の南東に延びる尾根はたおやかな等高線でフミアトがあるようだ。 ・帰路の注意ポイントは諏訪山の北東1500mの等高線から北東の小尾根に少しくだりそこから右に折れて北に向かう部分。枝にテープが3カ所グルグル巻きにしてありそこをトラバースして北に向かう尾根に再び乗ることになるのだが、その場所が入口がわかりにくく見逃しやすい。枝を通せんぼしておいたが、真っすぐくだって道が怪しくなったら戻れば左側のテープに気が付くだろう。 ◆日帰り温泉 ・上野村浜平温泉「しおじの湯」 ・500円/人 ・AM10:00〜PM6:00(火曜日定休・祝日の場合は翌日) ・TEL:0274-59-3955 ・お湯はメタ珪酸の含有量が多いすべすべの温泉。 ・若干ぬるいが、清潔な温泉。内風呂/露天風呂はパイプで2km引湯した湯ノ沢の源泉の湯です。以前はこれと廃業した浜平鉱泉の湯をブレンドしていましたが、今は中止されています。浜平源泉の湯は別途、露天風呂の一角に一人用の風呂桶を据えてトラックでお湯を運んできてはいる方法に変わりました。 (ただし今回は、その風呂桶にお湯がなく使用禁止になっていました。理由は経費的なもののようですが、復活を望みたいと思います。) ・ここのイノブタラーメンは500円と安くスープがうまい。お奨め!ちなみにイノブタは上野村の特産です。 |
写真
「ノリ」は、樹皮の内皮をはいで水につけて粘液を出させて、それを和紙を漉(す)くときの糊として使ったことからこの名がある。和紙は、楮(こうぞ)を原料にして作られるが、この糊空木で作った糊(のり)を混ぜることで漉(す)いた紙同士がくっつかなくなる。和紙に使う糊にはトロロアオイの根もよく使われるが、糊空木の方が
腐りにくい性質がある。
感想
西上州が神流川上流にひっそりと隠し持った秘峰---それが諏訪山です。名峰とのことですが、諏訪山の登山道は登る者にそれを印象づけてくれません。すぐかたわらの三笠山から望んでも、特徴的な姿を見せてくれないし、どれが頂上かもわかりにくい。まさに隠し持ったという表現が合っているように思ってしまう山です。
若干背が低いが鋭く尖った護衛兵のような三笠山。標高が高く根張りもあり、見る角度によっては目を引く諏訪山。前者を「下ヤツウチグラ」、後者を「上ヤツウチグラ」と称していることから二峰ワンセットでこの山が名峰として位置付けられ、300名山となっているのかも知れません。
名前の由来は、頂上に諏訪明神が祀られていることからきています。地元には伝説もあって『この山に修験者が夫婦で住んでいたが盗賊に襲われ惨殺された。里人はこれを甚だ憐れんだが、里では凶事が多く起こり疫病も流行した。里人は亡くなった修験者の祟りではないかと考え、諏訪神の祠を建てて遺物の刀・鈴等を納め修験者の霊を慰めた。これ以後この山は「諏訪山」と呼ばれるようになった』。諏訪神は軍神であり、ここ以外にも全国に1万社ほどもあるメジャーな神様です。ちなみにその総本山があの有名な諏訪湖の諏訪大社となります。諏訪山には「大神楽山」や「速颶(ハヤツムジ)」などの別名もあり、大神楽沢の源頭にある山として、あるいは速颶嶺の祠があった峰としてそれぞれ命名されたようです。
参考: http://www.k2.dion.ne.jp/~tnhc/toysim/toysim.html
登山口、浜平は戸数八戸ばかりの神流川最奥の集落です。現在は路肩の駐車場から登りますが、浜平集落から浜平鉱泉を経る道が諏訪山の本来の登山道でした。湯ノ沢の入口にある古びた建物が旧浜平鉱泉の一軒宿「高橋旅館奥多野館」。奥多野とは上野村や神流町周辺の地名をさします。明治19年に開かれた由緒ある鉱泉でしたが、残念ながら1996年に閉鎖してしまいました。泉質は含炭酸重曹泉。胃炎や糖尿病・痛風に効くまっ白いお湯だったそうです。わずか15人しか泊まれない山間のひなびた温泉としてハイカーはもちろん、釣り人・サイクリストのたまり場にもなっていました。日航機事故のときは自衛隊の救助隊員に宿屋らしくたくさんオニギリを握って出したなんて話も残っています。哲学者内山節もこの奥多野館に滞在しながら自然と人間の共生についての思いを巡らしました。ときには釣りをも楽しみながら書いた『時間についての十二章』で浜平のことをこう記しています。
『群馬県多野都上野村,大字楢原,字浜平,正確に書けばここが私の小さな山の畑のある場所である。浜平は秩父山塊奥深く入った,神流川最深部の集落である。この小さな山の畑を耕すようになって二十年以上が経過した。村人は私に村に引越して来いと言う。私も,それも悪くないと思いながら,時々現れてはわずかばかりの畑を耕す,東京からの通い半農民の暮らしが二十年もつづいた。この浜平の集落に暮らすさとさんはとても記憶力のよい人なのに,私の村での滞在年数だけは不思議なほどによく間違える。「二十年ばかりではすまなかろうに」と言うのである。「僕と強さんは,ひとつしか歳が違わないよ」そう言うと,さとさんはしばらく考えてから納得してくれる。強さんはさとさんの家の跡取りである。もしさとさんの言うように,私が三十年も四十年も前からこの村に来ていたとしたら,その頃は強さんはまだ小学生か,生まれたばかりなのである。何度か同じような会話が交わされ,ようやく私にも何故さとさんがこのことだけは間違えるのかがわかってきた。(中略)浜平のさとさんはこの家に嫁いでから,五十年以上も毎年同じことをしてきた。昨年亡くなった正治さんは,八十五年の生涯を閉じるまで同じことをしてきた。自然と結びついた山里の暮らしは,毎年回帰してくる季節とともに展開する村人の営みのなかに存在している。(中略)浜平のさとさんも,他の村人も,この二十年余りこの回帰する時間のなかに私を迎えてきた。(中略)だからさとさんは,私が昔からこの村に来ていたと,この問題だけは間違える。(後略)』
ここで出てくる さとさん、強さんは奥多野館を経営していたご夫人であり息子さんです。ちなみにこの文章、東大の2次試験にも出題された文章です。
さて、その後、ダム建設時に道路に凍結防止剤がまかれ、それが沢に流入して大量の魚が死滅してしまい、次第に釣り人も鉱泉から足が遠のいていきました。宿の主である高橋さんは温泉を改修するのに際して保健所の手続きが煩雑なことから、とうとう営業を断念してしまいました。登山の楽しみがコンパクトにまとまっている諏訪山登山のまさに登山道入口の温泉というシチュエーションが失われてしまったことはまことに残念です。
さて諏訪山の浜平コースですが、沢歩きあり、コケの原生林あり、岩稜あり、稜線漫歩ありと山歩きの楽しい要素がつまったコースです。新緑・紅葉のころはもっと素晴らしいでしょう。時間的にも朝早く出れば、午前中には温泉に入れるというお手軽さでもグッドな山だと思います。三笠山からは遠くの山を望むことができました。雲はハケで描いたような秋の雲でしたし、山道にはホオ葉が落ちていたり、クリの実を見つけたりしました。秋はもうすぐソバまで来ていました。
帰りには御巣鷹の尾根の入口まで行ってみました。忘れもしない昭和60年8月12日。日航ジャンボ機が墜落して520人が亡くなりました。ちょうどあの日から今年で27年目になるそうです。谷の最奥部、車道のどんづまり、歩道の入口には10台近いクルマが停まっていました。ちょうど到着したクルマから下りた遺族であろう方たちはみなさん高齢で、その過ぎた年月を感じさせました。27年前のその日、上野村は「しっちゃかめっちゃか」(地元の方談)だったそうです。静かな山里のさらにその山奥にでかい飛行機が落ち、そしてその日を境にこの山間の村にマスコミが大挙して押しかけてきました。「クライマーズ・ハイ」や「沈まぬ太陽」などにはそのあたりのことが描かれています。いまは墜落地点は上野村が管理法人を作り国有林を買い取って管理をしているとのことです。亡くなられた方の鎮魂を祈って上野村をあとにしました。
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