左千方〜三国岳☆藪こぎの彼方の天空の回廊に


- GPS
- 11:59
- 距離
- 22.1km
- 登り
- 1,247m
- 下り
- 1,255m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
谷山までは踏み跡あり そこから先は残雪あり、無雪期の登山はおそらく極めて困難 |
写真
感想
今年は例年になく異様に雪が少なかった上に、2月の下旬には暖かい日が続き、山から雪が消失するのが早い。残雪が期待出来そうな山行先を考えるのに真っ先に思いついたのがこの左千方である。この山の存在を知ってからというもの幾度、地図を眺め、この左千方への山行計画を考えたことだろう。1月に登った上谷山からは終始、三国岳と共にその大きな山容を目にしながら登ることになった。
林道奥川並線の入り口の田戸までたどり着けるというのがこの山に登る必要条件である。例年であれば雪で閉ざされる県道285号線が寡雪のせいで1月の下旬から既にそれが可能であった。膝の骨折さえなければ、2月の晴天の日を狙ってもっと早くに計画を実行に移していたことだろう。怪我から復帰しての最初の雪山の山行となった横山岳の北尾根からも、その北側に連なる銀嶺の中心で一際秀麗な山容を誇るこの左千方を目にすると、この山への憧憬の念が増幅しない訳がない。
ところでヤマレコで過去の山行を確認してみるとこの山のレコはわずかに数えるほどしか上がってこない。しかも、滋賀県側からアプローチしたレコはわずかに3つしかない。しかも、そのうちの二つは同一人物による紀行である。
菅並集落から県道に入った時点ではまだ薄暗い。上がりつつある夜の帳の後には刃物を思わせるほどに鋭利な三日月が残る。その月に追い縋るように紅い煌きを放つ明るい星は火星だろう。田戸の集落跡の広地に車を停めて、歩き始める頃にはあたりはすっかり明るくなっていた。安蔵山への登山口となる梯子段を越えて先に進むと、林道の奥で谷山にかけての稜線の山毛欅が橙色に輝いている。山の彼方で朝日が昇ったようだ。
林道の脇には苔むした石垣の遺構が現れると奥川並の廃村の跡が近づいたことを知る。この左千方に登るにあたっては登山口となるこの廃村跡も非常に気になるところであった。この村が廃村になったのは昭和44年のことらしい。高時川に沿って点在する集落の中で最奥部に存在する集落であるが、最も早く廃村となったらしい。登山口にノスタルジーを呼び起こす廃村跡があるというだけでその山の魅力を大きく増幅するものだ。
石垣に続いて、大きな黒い墓石が現れる。かつての集落の墓地を纏めたものなのだろう。やがて小さな川に至ると、その両側に段をなす石垣の遺構が集落の跡を静かに物語る。山影の集落跡に朝の光が届くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。南向きのわずかばかりの開かれた土地に日がさす時間は限られているのだろう。
川を越えたところで林道脇の石垣を越え、幾重にも重なる石垣の奥から尾根に取り付く。杉の植林地は多くの倒木で既に荒れている。忽然と植林地の中に開けた空間が出現した。八幡神社と彫られた立派な石碑が建てられており、かつて集落の神社の跡地があったようだ。石碑の側面には昭和十五年八月建立と小さく彫られている。
八幡神社の石碑を後に上へと登ってゆく踏み跡を辿ると、すぐに古い石段が現れる。上り詰めたところにも開けた空間が現れ、立派な杉の大樹の手前には石灯籠が立っている。右手にはもう一つ、倒壊した石灯籠がある。おそらく、かつては神社の祠があったのだろう。石灯籠の遺構が否が応でも厳かな気持ちを抱かせる。
上へと続く尾根には掘割式の明瞭な古道があるようだが、杉の倒木で道は完全に塞がれている。その脇には倒木を避けて登ってゆく薄い踏み跡がある。すぐに杉の植林地は切れて自然林となると再び古道が現れる。こうした古道は倒木や樹の枝が集積して通行が困難となっていることが多いのだが、意外にも道を覆う枝や藪も少なく意外にも歩きやすい。
左手には安蔵山。目測で700mあたりから上では斜面にはかなり雪が残っているようだ。尾根が急に広くなると斜面には山毛欅の樹が目立つようになる。斜面には灌木も目立たず、山毛欅の林の中が大きく広がる・・・朝日を浴びて屹立する山毛欅の樹々の間を緩やかに登っていく。
谷山の山頂へとのびる尾根に乗ると予想通り、急に尾根上に雪が現れる。ここからは雪がつながってくれるものと期待してスノーシューを装着する。朝の空気に雪はほどよく締まっており、沈み込みはほとんどない。
右手には山毛欅の間から壁のような江美国境の稜線が視界に飛び込む。その稜線が緩やかに登っていく先にあるのは左千方の白銀の山頂だ。左千方の山頂には遠目に見る限りでは有り難いことに露出した地面は見当たらない。山頂直下の急登においては藪漕ぎを覚悟しなければならないが、上谷山からの江越国境で延々と経験した藪を上回るものではないだろうと予想する。
なだらかな尾根を歩くうちに山毛欅の倒木を中心とした小さな広場に出る。GPSで確認す
ると、どうやら706m峰らしい。しかし、両側の斜面が迫り、細尾根の登りにさしかかると雪が途切れるようになる。スノーシューで歩けるところは露出した地面の上を歩くが、足がかりが必要な急登になるとスノーシューを外さねばならない。結局、谷山山頂直下に至るまでに、細尾根で数回スノーシューを着脱する羽目になった。
急登を登り切り斜面が緩やかになったところで山毛欅の大樹が取り巻く谷山の山頂にたどり着く。山頂には北側にはなだらかな山頂部を有する上谷山の優美な姿が山毛欅の樹々の彼方から視界に飛び込んでくる。安蔵山の山頂と同様、山毛欅が取り囲む山頂に曲がりくねった樹を広げているのはリョウブの樹であろう。
谷山からは美しい山毛欅の回廊を辿ることになる。雪の上を歩いてゆくと、わずかにそれと判るほどの微かなワカンの跡がある。おそらく一週間程前のものではないかと思われる。尾根が南側に大きく弯曲すると、開けた南側斜面からは正面に横山岳を大きく望むことになる。
ところどころで尾根上の樹林が切れるとその度に左千方の姿が徐々に大きくなり、遠くからではなだらかに見えたそのピークはますます高く屹立するように思われてくる。
急登にさしかかるといよいよリョウブの藪となる。多少の藪漕ぎは覚悟してはいたが、雪が少ないからこそ田戸まで車で入ることが出来るともいえる。もう少し早い2月の上旬であれば藪漕ぎも多少はマシであったかもしれないが、所詮は大同小異だろう。上谷山で経験したリョウブの藪と雰囲気は同じであるものの、上谷山からの江越国境で延々と続く藪漕ぎに比べれば距離は遥かに短い。最後の急登を200mほど登ったところだろうか、やがて斜面がゆるくなり、樹々の間隔が広がり、藪漕ぎから解放されると、頂上まではもう少しであった。
山頂にたどり着いた瞬間、三国岳へのなだらかな白銀の尾根の彼方に三周ヶ岳、美濃俣丸といった越美国境の山々、そしてその右には烏帽子岳が大きく視界に飛び込む。そして360度の光景。空の高いところに刷毛で掃いたような巻雲がかかるばかり。風もなく、雪の尾根と谷が延々と織りなすこの壮大な光景をただひたすら静寂が支配している。
ふと気がつくと、雪の中から小さな三角点が顔を覗かせていた。山頂の雪が消えるのも近いということだろうか。今季の冬の間にここにたどり着けたことを有り難いと思うばかりだ。
山頂に荷物をデポして優美な曲線を描くなだらかな白銀の尾根を三国岳へと向かう。眺望を遮るもののないパノラマコースは天空の回廊と呼ぶに相応しい。尾根上に疎らに生える樹々にはわずかばかりの霧氷の名残りがみられる。雪面の上では綺麗な菱形をした無数の霧氷の欠片が陽光を浴びて半透明の筋模様を慎ましやかに輝かせる。おそらく二三日前には尾根上の樹々は霧氷を纏っていたのだろう。
三国岳で折り返し、再び左千方の山頂に戻ると、ガス・ストーヴと食材をいろいろとリュックに詰め込んではいるのだが、二人ともさほど食欲がないので家内が用意してきた蒸し鶏とブロッコリー、キュウリとパンの行動食で簡単にランチを済ませる。
復路は藪よりもむしろ膝に負担がかかる急斜面の下りが問題ではあるが、むしろリョウブの枝を掴みながら脚を下ろすのが膝への負担の軽減に程よいようだ。登りのトレースを辿りながら順調に尾根芯を下ると斜面が緩やかになったところでリョウブの藪こぎから開放され、再び山毛欅の美林の回廊へと戻る。
横山岳の右手には琵琶湖がみえている筈なのだが、雲を溶かし込んだようなその湖面は雲との境界までが消失してしまっている。右手に望む上谷山、左手に望む左千方から神又峰への稜線は西に傾いてゆく光を浴びてうっすらと黄金色を帯び始める。
午前中はほとんど沈み込みがなかった雪も午後になってかなり緩くなり、腐れ雪となる。ところどころで踏み抜きはあるものの、積雪が浅いせいだろうか、体力を消耗するほどではない。
途中まで復路は順調であり、この分では17時頃には田戸には辿り着けるだろうと見込んでいたのだが、谷山に戻る手前で家内が突然、ブレーキがかかり失速する。何故か脚の付け根が痛くなったらしい。極端に歩みが遅くなったので、このままだと暗くなる前に駐車地に戻ることが出来るだろうかと心配になる。
谷山からの下りで雪が途切れるようになり、スノーシューを脱ぐことになる。家内の脚の具合は少しはマシになったようだ。706m峰を通り過ぎて、尾根を進むうちに急に尾根上の藪がきつくなる。どうやら尾根を行き過ぎていたようだ。右手に斜面を進むとピンク・テープと見覚えのある古道が現れた。
古道は堆積した落ち葉で足元が柔らかい。古道を辿るうちにいつしか奥川並の集落のこと、八幡神社の石碑の裏側に薄く彫られた日支事変従軍記念の文字を思い出した。おそらくは村の若い男子が同時に徴兵された時のものだろう。果たしてそのうちの幾人が無事に帰村したのだろうか。杣仕事に頼る生活であっただろうから、戦争で男手を少なからず失ったとしたらこの山奥での生活を続けて行くのが困難であったことが予想される。
ますます黄金色を濃くしていく傾いた安蔵山の稜線に隠れる頃になって薄暗い八幡神社の跡地にたどり着いた。迫りつつある夕暮れの時間が帰りを促す。家内の脚の具合が心配されたが、何とかそれなりの速度であるいて、ヘッデンの明かりを必要とする前に駐車地にたどり着くことが出来だのだった。
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