錦繍の下ノ廊下へ


- GPS
- 12:55
- 距離
- 38.0km
- 登り
- 8,317m
- 下り
- 7,435m
コースタイム
- 山行
- 4:19
- 休憩
- 0:21
- 合計
- 4:40
- 山行
- 7:34
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 8:01
天候 | 【1日目】雨のち曇り 【2日目】晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
宇奈月温泉11:44分発ノトロッコ列車で欅平へ 下山は黒部ダムよりトロリーバスで扇沢へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所無数 |
その他周辺情報 | 阿曽原温泉にてテン泊 |
写真
感想
【山行前】
学生時代からこの峻険なルートの存在は知ってはいたが、一部の物好きが行くところだと思っていた。この下ノ廊下への山行を視野に入ってきたのは親しい友人から予定があえば一緒に如何だろうかとお誘いを受けたことによる。この下ノ廊下は雪が融けたあとの夏場から道の整備を始めるので、例年9月の下旬となる。果たしていつ、登山道が開通することかと阿曽原温泉のホームページを訪れると、開通前から予約が埋まり、予約を受け付けることが出来るのは平日に数えるほどしか残っていないとのこと。もとよりテン泊山行が多いので小屋泊まりでなくともいいのだが、テント場も大混雑を呈しているようだ。数年前のレコを見ると、紅葉が最盛期となる10月下旬の週末でも阿曽原温泉のテン場にはテントが疎らであり、ここ数年の人気の沸騰ぶりが伺える。
この下の廊下を訪れる人の大多数は黒部ダムから欅平へと北上するコースを辿る。逆コースでは欅平から水平歩道まで、そして最後の黒部ダムにかけてが登りとなる。しかし、このコースで宿泊地となる阿曽原温泉にたどり着くためには黒部ダムを午前中の早い時間に出発する必要があるのだが、関西圏からでは前夜に出発しない限り不可能である。一泊二日でこの黒部峡谷を歩くには、京都発の始発のサンダーバード号から北陸新幹を乗り継ぎ、宇奈月温泉からトロッコ列車に乗って欅平から入る他ない。
新黒部駅から富山地方鉄道を利用するとトロッコ列車が欅平に到着するのは13時前になってしまうのだが、新黒部駅から宇奈月温泉の区間はタクシーを利用することで、欅平を12時過ぎに到着するトロッコ列車に乗ることが可能となる。タクシー代は安くはないが、この40分の違いは明るいうちに阿曽原温泉にたどり着けるか着けないかというあまりにも大きな違いに帰結する。日が暮れてから黒部峡谷の断崖絶壁を歩くこと、そして無理に歩行速度を速めることは自殺行為に等しいように思われる。
【一日目】
欅平に予定通り12時過ぎに到着したものの、大勢の観光客が下車した後のトロッコ列車の写真を撮ったりするうちにいつの間にか出発は12半過ぎになってしまっていた。依然として雨が湘湘と降り続いている。登り始めると多数の登山者とすれ違うが、皆一様にヘルメットを被っている。ヘルメットを携行し忘れたことに気がつく。後ろの家内にそのことを伝えると、我々の通過を待ってくれていた山慣れた雰囲気の下山者が「ヘルメットなんか要らない」と吐き捨てるように云って、首を横にふる。その言葉に少し安心する。
小さな展望台のある送電線鉄塔に辿り着いた頃には雨もあがり、宇奈月の方向には雲の合間から蒼い空が見え始めていた。谷間の方からヘリコプターの爆音が近づいてくたかと思うと猛烈な勢いで峡谷の奥へと飛び去ってゆく。見紛うかたなき真っ赤な機体は、消防の山岳遭難救助のためのヘリである。誰かが雨に濡れた岩で足を滑らせてのだろうか。無事を祈るばかりだ。
登山道はいよいよ水平歩道へと入ってゆく。最初の尾根筋を乗り越えて谷の左岸に入ると、錦繍の急峻な斜面のむき出しになった岩肌の上には一本の線条が見える。よくよく見ると岩の表面に渡された丸太橋が線条となって見えているのだった。その下はほぼ垂直の崖である。
深い谷の右岸には定規で線を引いたかのように水平に走行する一本の線条がつけられている。あまりにも不自然な登山路。いや、これは登山路ではないのだ。このように無理な道をつけるなら、なぜ断崖のこのような高所を選ばねばならなかったのだろうか。随所に道から分岐する極めて細い踏み跡があり、その分岐点には北陸幹線XX号などと表示された小さな標識を目にすることで、前述の疑問に対する至極単純な理由を理解する。山の高いところに建てられた送電線の鉄塔のための巡視路なのであるからなのだ。そもそも送電線鉄塔そのものが雪崩の危険性を避けて高いところに設置せざろう得なかったのであろう。
水平歩道に入ったところまでにわずかに数組とすれ違うが、間もなくすれ違う登山者は皆無となる。断崖の遥か左下方にはまるで染料を溶かしたかのように深い藍色を呈する黒部川の急流が白波をたてている。静かな谷間には渓流の轟々と流れる音だけが響き渡る。ひとまず崖に突き出した危険箇所を通り過ぎ、右手の谷に入ると少し斜面の傾斜は緩くなり、樹々の紅葉の美しさが目に入る。
雨上がりのせいだろうか、岩壁の表面を流れる水流がシャワーとなって滴り落ちている。先程の送電線の鉄塔広場で雨具は脱いでリュックに収納してしまった。わざわざ数秒のために雨具を再び取り出すことはなかろうと急いで通過するが、体に降りかかる冷たい水飛沫は意外と少なくない。
深い志合谷に入ると対岸の岩肌に長い線条が刻み込まれている。その線条の谷側にはトンネルの出口が漆黒の闇を湛えている。おそらく本来は谷を横切る形で水平歩道がつけられていたのだろう。トンネルの出口の手前の岩肌にも岩を掘削した跡が続いている。しかし、トンネルの入口が見当たらない。懐中電灯が必要なトンネルがあるとの事前情報を得ていたがこのことか。谷の遥か手前でトンネルの入り口を見つけ、目を疑った。一体、対岸の出口までどれほどの距離があるのだろう。自らが進む距離よりも、この山の中にこれだけの長距離のトンネルが掘られたことに驚かざろう得ない。沢の上部にはティラミスのような万年雪がある。なるほど、この時期だから雪がこの程度に小さくなったのだろうが、一年の大部分は雪渓に覆われているのだろう。この沢の急傾斜からすると雪の上をトラバースするのは到底現実的ではない。そもそもこの巡視路を歩行する電力会社の技術者や荷担ぎの人夫は雪山に慣れた登山家ではないはずだ。
トンネルの中に入ってみると、通路のほぼ半分は水が流れるための水路である。そしてトンネルの天井からは間断なく水が滴り落ちる。岩盤をくり抜いただけのトンネルであり、雪渓からの雪解け水が大量に流れ込むのも当然であろう。間もなくすると通路は完全に水没している。私も家内も防水性能の高い靴を履いていたから良かったものの、普通の軽登山靴であれば瞬く間に靴の中までびしょ濡れになったことだろう。ようやくトンネルの出口にたどり着き、対岸の入り口を振り返ると、トンネルの入口から流れ出る水が急峻な斜面を白糸のような滝となっているのだった。
トンネルを通過した先にはさらに高度感のある道が続く。岩壁にはあたかも彫刻刀で線刻したかのような線条が見える。やがて近づくにつれて視界に入ってくるのはコの字型に掘削された岩壁なのであった。コの字型になっているところはまだいい。やがて木道がかなり続く箇所になる。地図によると昨年の春、「大太鼓の辺りで登山路が大規模に崩落」と記載されている。崩落箇所を木を束ねた丸太橋で補ったようだ。
既にかなり水平歩道を歩いてきたかと思うが、駅の案内放送が明瞭に響き渡る「ピンポンパンポーン・・・間もなく宇奈月温泉行きの列車が参ります。白線の後ろに下がってお待ち下さい」。岩肌の多い狭い谷間では音が反射して拡声器のような作用を呈するからなのだろう。しかし、この一歩間違えると生命がないという危険な断崖で駅の案内放送が聞こえるという現実はあまりにも非現実的だ。
コの字に掘削された箇所では慎重に頭上を気をつけていたせいだろうか。しかし、通過して油断したのだろうか。樹の幹でしたたかに頭をうつ。斜面が急峻であるために樹の幹がJの字状に斜面から生えているのである。
大太鼓を通り過ぎ、今度は深い折尾谷に入る。前方の谷の左手には大きな滝が見えてくる。折尾の大滝のようだ。その右手には堰堤が設けられ、堰堤の両側には入り口が設けられえている。どうやら道は堰堤の中を通過するようだ。このような場所に堰堤を築き上げた先人たちの努力とその労苦に改めて驚く。
堰堤を通過するといよいよ折尾の大滝に出る。私は滝を見ると可能な限り滝に近づいてみるという習性がある。滝の左手の斜面につけられた踏み跡を辿って滝の下まで近づいてみる。
やがて道が水平でなくなり、斜面を下るようになると阿曽原温泉が近づいてきたしるしだろう。尾根の上の雲の上に鹿島槍ヶ岳がその姿を見せる。夕日をうけて黄金色に輝いてみえる。岩肌がかなり白く見えるのは初冠雪のためだろうか。間もなく、かなり下った先には阿曽原温泉小屋とその下の猫の額ほどの狭い平地に隙間なく張られた色とりどりのテントが見える。
果たしてテント場に辿り着いてみると、テントをはるスペースどころかテントの間を歩くことすら困難なほど混雑している。テント場には新たに我々のテントを張る余地は見当たらないが、まずは小屋にテントの受付をしにいく。「ご到着、お疲れ様です」と二人の若い女性の声がする。最悪の場合、「テントのスペースがなければ小屋に泊まって下さい」と云われることを覚悟していたが、下の露天風呂に行く途中にスペースがあったら張ってもよいですよ」と。遅い時間の到着を非難されてもおかしくはないところであるが、あくまでも優しく丁寧な対応であった。
露天風呂では様々な情報が入ってくる。この日は今シーズンで最も混んでいるらしく、山小屋は100人ほどの泊まり客らしい。テント場にもそれに近い数の登山客がいるように思われる。それから、やはり先程のヘリは滑落した人を救助の向かったためらしい。滑落した瞬間にはまだ手を振っておられたらしいが、ヘリが到着した時には絶命されていたとのことだった。
【二日目】
昨夜は酔ったまま、インナーシュラフも出さずに寝てしまったようだ。朝は寒さで目が覚める。気がついたら3時半近くになっていた。テントの外に出てみると星空が綺麗である。テントの中でコーヒーとインスタントのスープとパンで朝食をとる。テントを畳み出発したのは5時前であった。
丁度、人が出発するタイミングなのだろう。小屋直下のテント場でもガス・ストーヴで湯を沸かしている人、出発の準備をする人でごった返している。ここからは人見平にかけて尾根に登ってから下ることになる。暗闇の中を登るが既に多くの先行者がおられる。最近は家内もようやく登りに慣れてくれたようで。先行する方々に追いついて、先に行かせて頂く。しかし、我々に後続する若い男性3人組はほぼ我々と同じペースでついて来られる。
人見平に到着すると、忽然と関電の作業員のための近代的な宿舎が登場する。後ろの3人組も同時に到着されるので、聞いてみる。「昨日、欅平を出られたのは何時頃ですか?」「11時20分に出発して4時頃に到着しました」。我々とほぼ同じコースタイムである。道理でほぼ同じ速度で歩かれるわけだ。「その時間はテント場は如何でした?」「ほぼいっぱいでした」・・・
三人が阿曽原小屋に電話した時は予約か埋まってしまっていたものの、早い時期でもあったせいか特例として食堂に寝かせて頂けたらしく、ゆったりと寝ることが出来たらしいが、他の泊まり客は1つの布団に2人というスペースでした。しきし、朝3時から起きて食堂で出発の用意をされる方や食事を取られる方がおり、ヘッデンのライトの直撃でびっくりして起きてしまったとのこと。
宿舎の前を歩いていくと突然、道が途絶える。ふと見ると道標は右手のコンクリートの壁につけられた鉄格子を指している。監獄を想起させるような重苦しい門扉を開けると、中には長いトンネルが続いている。トンネルの中を道標に導かれるままに進むと突然、線路に出る。欅平から長い地下トンネルの中を走行するトロッコ列車の線路だ。勿論、踏切も何もないが、さすがに列車の到来は各自の責任で音で判断するということだろう。この線路が走行するトンネルは硫黄の臭いが充満し、妙に暑い。これが噂の高熱隧道か。
トンネルの反対側は仙人谷の上にかかる長い橋であり、屋根のついた橋、いわゆる屋根付橋または廊下橋と呼ばれるものになっている。屋根は冬場の豪雪を凌ぐためのものだろう。鉄道が走る屋根付橋は日本ではここだけだろうから線路脇の歩道を歩いて渡ってみるというのも酔狂かもしれないが、ここを通過してる時にはそのような考えは及びもつかなかった。
橋からは再び長いトンネルを渡り、扉を開けていよいよ外に出ると、そこは仙人谷のダムであった。目の前に広がるダムの光景に思わず歓声があがる。限りなく深い紺碧の水とその向こうにそそり立つ紅葉の山肌。先程、交差してきた廊下橋の下にはあたかも放水されたかの如く放物線を描いて猛烈な勢いで谷に注ぎ込む滝がみられる。
ダムの上には先発された数組の登山客が休憩しておられ、絶景を楽しまれている方が多い。ここからはダムの上流に向かってしばらく林道を進む。林道ということは車両が通るための筈だが、果たしてどこから車両がここまで到達するのだろうか。黒部ダムからの長大な地下トンネルを通過してここに至るということか。
林道は長いトンネルの中に入ってゆくが、その出口の先には長い吊橋が見える。折しも10人程のパーティーが吊橋を渡っているところであった。そして吊橋の向こうの山の斜面にはおにぎりのような形状の巨大なコンクリートの構造物が二機、大きな口を開けている。黒部第4発電所である。
吊橋を渡ると、いよいよかつての日本電力が黒部ダムの工事のために作った作業道、いわゆる旧日電歩道が始まる。先程のパーティーに追いつくが、危険箇所の間の道幅があるところですぐに先を譲って下さった。間もなく昨日と同様に断崖絶壁に刻み込まれた道が始まる。一歩足を滑らせたらほぼ即死という危険箇所があるのは昨日の水平歩道も同様であるが、問題はこちらのそのような箇所が延々と持続していることだ。
轟々と音をたてて流れてゆく黒部川が近いせいで、水平歩道よりもさらに迫力がある。とはいえ相変わらず藍色の染料を溶かし込んだような河は眼下およそ100m、20階以上の高層ビルの屋上から下を見下ろすほどの距離ではあるのだが。川幅が極端に狭く、ジグザグと蛇行するのはS字峡と呼ばれるあたりだ。すぐに半月峡に差し掛かる。何が半月なのかわからなかったが、かつてオスマン・トルコ軍が用いた半月刀のようにも見える。
ふと気がつくとすぐ後ろに先程の若い男性3人組が追いついてくる。折角の機会なのでと断崖絶壁を通過する彼らにカメラを向けると、この緊張感あふれる局面であるにもかかわらず、皆一様に驚くほど爽やかな笑顔をレンズに向けて下さる。
まもなく登山道の先から滝の轟音が聞こえてくる。谷に入ったところで目に飛び込んできたのは靱沢の下部の滝の上にかけられた吊橋であった。黒部川には対岸からも滝が流れ込んでいる。なるほど、ここが十字峡か。吊橋の上に恐る恐るかがみ込むと、カメラを吊橋の下にむけて滝の写真を撮ってみる。
白竜峡に近づくと道は断崖の上から谷底に移動してゆく。断崖の道にはアップダウンが加わり、さらに足元の幅が狭くなり、ますます剣呑さを増す。蛇行する河川には多数の滝が連続し、水面は連続する滝のせいで終始、青白い渦が生じている。多くの滝が間断なくたてる轟音はいまにも人を呑み込もうとする狂獣の唸り声のようにも聞こえる。対岸からは高千穂における真名井の滝のように崖の上から滝が落ちているのだが、その滝を目前にしながら断崖を通過するその迫力は高千穂以上である。迫力、美しさの点でこの白竜峡は下ノ廊下クライマックスであるが、険難さの点においても最高潮といえるであろう。
十字峡を過ぎたあたりから対向する登山客とすれ違いはじめるが、白竜峡に近づくにつれ、すれ違う登山者の数はますます多くなる。狭い断崖の上の道えではすれ違うことが出来る場所も限られる。数人とすれ違ったところでようやく先に進もうとした途端にまた向こうから人が現れて、また元に戻るということも度々である。一度は20人程のツアーとすれ違うが、こちらは壁にピタリと身を寄せて、人が通り過ぎるのを待つばかりだ。すれ違いの幅がとれないところではお互いにワイヤーを掴むのに人と体を重ねるようならざろう得ない。昨晩、阿曽原温泉でご一緒させて頂いた隣のテントのグループのリーダーがこのすれ違いはそれなりにストレスかもしれないと仰っていたことを思い出す。
美しくも異様な光景が続くのだが、ゆっくりとカメラを構えている余裕は全くない。私の注意不足のせいなのだが、滝の写真を撮るためにシャッタースピードを遅くしたままでその後の写真を撮ってしまっていたので、ほとんどの写真がブレブレとなってしまっていた。白竜峡を過ぎると別山谷である。写真を撮ることをすっかり失念していた。岩に打ち込まれた鋼鉄の梯子を伝って沢に降りたあとは更に小さなハーケンを頼りに岩壁を登り返す。
断崖絶壁には刻みこまれた傷痕そのものといった細長い道が一直線に伸びている。道の危険度は相変わらずなのだが、白竜峡の狂気じみた歩道を通過してきた後では些か穏やかに思われる。谷の先、南の方角には狭い谷間にようやく太陽の陽が差し込み始める。
水平が続くはずの道が突然、高さ20mほどあると思われる岩に3段の木の梯子段で登ってゆくことになる。登ろうとしても上から次々と梯子を下ってくる方がおられるのでなかなか登りはじめる機会が訪れない。ようやく登ったと思えば再び3段の梯子を下ることになる。最後の梯子段を降りて後を振り返ると、本来の歩道が岩壁ごと崩落しつつある。梯子段がつけられていたのはここを高巻くためであったことを理解する。
やがて登山道は徐々に断崖の傾斜も緩くなり、道の幅も増してくると緊張感も和らいでくる。すれ違う人も急に少なくなり、。登山道は河に沿った緩やかな道となり、何とも穏やかな雰囲気だ。雲ひとつない秋晴れの空から降り注ぐ陽光が錦繍の山肌を輝かせる。わずか1時間ばかり前に通過してきた峡谷の剣呑さが遠い出来事のように思われる。美しい紅葉を楽しみながら黒部ダムへの道を辿る。河原にある大きな岩に攀じ登っていると、後ろから先程の3人組が追いついて来られる。お互い岩の上に登って写真を撮りあう。
緊張が緩んだせいだろうか、木の幹で再び大きく頭を打つ。結局、山行を終えるまでに一度も岩で頭をうつことはなかったが、前日と合わせて計3回、樹で頭を打ったのだった。落石が頭に当たることもなかったのだが、ヘルメットを被っていても落石があたった場合には落石もろとも谷底に落ちて亡くなるという事例もあるようだ。勿論、ヘルメットを携行するに越したことはないだろう。
やがて正面に巨大な黒部ダムのアーチが見えてくると、ついにこの長い山行の最終章に辿り着いたかという感慨が沸き起こる。ダムの手前に白く靄が立ち込めているのは放流による水飛沫だろう。黒部ダムのかなり手前で木橋を渡るのだが、このあたりまで水飛沫が飛んでくる。橋の対岸をダムに向かって斜面を登ってゆくとやがて小さな小屋があり、関西電力と思われるダムの関係者がおられる。例年、ダムの観光放流は10/15で終了するのだが、今日はたまたま放流しているとのこと。ダムに向かって斜面を登るにつれ、右手には立山が大きく聳えてる。黒部側から眺めるその姿は室堂の方から眺める姿よりも遥かに峻険に思われる。
扇沢方面へのトロリーバスのトンネルにたどり着くと、ほぼ同時にこれまでも度々一緒になった若い三人組が追いついて来られた。黒部ダムの上からは放水の水飛沫の上に小さな虹がかかっている。その向こうに眺める黒部川の流れは緩やかで、その先に剣呑な峡谷が牙をむいて待ち構えているとは到底、想像しがたい。
黒部ダムで時間を費やしすぎたせいか、立山アルペンルートを室堂経由で帰ろうと、ロープウェイの乗り場に向かう。チケットを購入してから気がついたのだが、わずかに一本遅れたせいで乗り継ぎが極端に悪い便となってしまい、京都に帰り着くのが21時前になってしまう。慌ててダムの上をトロリーバスの乗り場へと引き返し、扇沢経由でバスに乗り継ぐと信濃大町で特急あずさ号に乗ることが出来るのだった。
京都の自宅に戻った後、遭難事故のことを確認しようとして知るのだが、この週だけで3件の滑落事故があり、いずれの方も死亡されているとのことだった。亡くなった方々の年齢が自分とさほど歳が変わらぬことにも驚く。自分達と同じくこの峡谷に惹かれ、そして不幸にして亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりだ。
興味深く読ませていただきました!
この危険な中でこんなにたくさん写真を撮られたyamanekoさんにも感心しますし、それほど素晴らしい景観だったんだろうなーと想像します。
いつもなんですが、めちゃめちゃ臨場感のあるレコなので、既に私も歩いてきた気分です(笑)
小屋泊はものすごく混むと聞いていたのでテント泊がいいかなーと思っていたのですが、テントも張る場所が無いくらい激混みなんですね!!この密集具合は涸沢どころじゃないですねー
ますます行きたくなると同時に、滑落事故が多く起こっていることにびっくりして、やっと怖さも感じています。そのようなニュースは耳に入ってこないので、意外といけるんちゃうかなと気軽に考えていたのに、現実はやっぱり危険なところだったんですね。
すれ違いもかなり危ない状況で行われるんですねー。
来年行けたらいいなと思っているのですが、それまでに体力とか体幹とかちゃんと鍛えておかなきゃと改めて感じてます。
美しい写真と詳しい情報上げていただいて嬉しいです
ありがとうございます!
5連チャン山行、お気をつけて楽しんできてくださいね
こちらこそ、この長大なレコの文章を読んで下さり、有難うございます。まさか木に頭をぶつけた気分も
アップダウンはほとんどないので、rika-goさんの普段の山行を考えると体力は全く心配ないと思いますが、独特の緊張感を強いられるところだと思います。
この下ノ廊下を訪れる登山客はここ数年で急激に増加しているようです。来年のこの時期の週末はテン場を含めて阿曽原温泉のキャパを超えるのではないかと危惧しますので、週末は避けた方が懸命かもしれません。
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