碓氷峠 横川〜坂本宿〜碓氷坂関所〜碓氷峠城〜碓氷峠〜軽井沢


- GPS
- 06:37
- 距離
- 21.5km
- 登り
- 1,121m
- 下り
- 550m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2018年03月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
横川から軽井沢まで、碓氷峠越えをしました。
高崎から信越本線で横川駅へ。
向かう途中で、
「あれ?横川?峠?聞いた事ある組み合わせ……」
と思って調べてみたら、やっぱり、おぎのやってここ発祥だったのか!
ならば釜飯買ってくしかない!
ということで、土日祝は9時オープン(平日は10時)なので、
8時半に横川駅に着いたのに30分程待ってから峠の釜飯を一個購入してから出発。
しばらく進むと碓氷関所。
箱根関よりも幅が狭いと感じた。
そこから川を渡った先の坂本宿はかなり大きい宿場。
宿場の正面に尾根先端が見えており、この尾根が中山道。
先端には愛宕山城が築かれた。
尾根に登るルートは、国道と線路跡が複雑に交差しているので正確なルートは良く分からん。
国道沿い、尾根の左手脇から旧道への入口がある。
スタート地点のみ急登するが、あとは、峠に至るまでほぼ一定の登りで、他の峠道よりも比較的楽な道だと感じた。
尾根上に到達すると、堂峰番所と呼ばれる場所に到達。
石垣が至るところに残っていて素晴らしい。
広さもかなりあるのと、石塔がいくつかあり、宗教的な空間である事も感じた。
街道を先に進まず、後方の尾根先端部へ向かう。
なだらかな斜面だが削平されている事が伺え、こちらも宗教色が強い。
先ぶくれの広い尾根だが、横堀と竪堀で先端部への進入路を狭めている。
先端部は土塁と横堀に囲われた単郭式城郭。
尾根との接続部分に土橋、
南端部には馬出的な小曲輪があり土橋で接続される。
馬出は主郭の東側を守る厳重な細い土塁と接続されており、外側は急斜面。
東端部は主郭側が土塁に囲まれた別空間で張り出しており、土塁でしっかり囲われているので、
ここは見事な横矢が付いている。
曲輪を囲う横堀と土塁は見事に残存しているも、
曲輪内部は薮過ぎて中の様子は分からない。
先も長いので中は確認せず、先に進む事にする。
街道を進むと掘割状の石畳の名残りが伺え、
また、先には街道を上から監視する平場もいくつかあった。
さらに先を行くと、刎石山付近、石積みと岩場が続き圧巻。
地蔵の写真を撮ったはずなんだが、何故か写っていない。
刎石山南麓部分は再び森林となっており、平場がいくつもある。
営みを感じられる。
山頂の南側には茶屋が四軒あったようで、石垣が見事に残っている。
付近はかなり広い範囲で削平されている。
山頂は墓地となっている。
少し街道を奥に進むと東屋があったが、こちらには碓氷坂の関所と呼ばれる、より古い関所が設けられていたようだ。
尾根の背部分は複雑な地形で、崩落箇所や掘割の区別が付かない。
おそらく街道も付け替えられたりしているのでは?
ほぼ禿山の一帯を過ぎ刎石山の西側までくると、
尾根を明らかに竪堀で狭めた箇所があった。
小田原攻めに向けて松井田側が防衛の為に造成した部分である。
似たような雰囲気の尾根をひたすら進む。
谷が深い。
さらに進むと、眼鏡橋へ下りる分岐に到達。
天正期の土橋に似たような土橋に出くわすが、
こちらは削平地がかなり広く取られている。
こちらは明治初期の屯所であった。
かなり広い。
その先に進むと、食い違い虎口らしき構造を目にしたが、
その先にはなんと残存する構造物がある。
山中茶屋跡には山中学校が建てられたようで、
この辺りにも生活があった事が伺える。
舗装道路が崩落しており、昭和時代には車が往来していた??
ログハウスがいくつも残っている。
崩落した舗装道路跡を進んで行くと、子持山南麓。
薮山で登れそうにない。
その先に分岐があるが、安政遠足の看板が右の道を指しているので行きそうになるが、
中山道は左の道なので間違えないよう。
しかし、あまり見晴らしのいい場所はない。
この辺りはずっと谷間である。
しかも夏場は薮がやばそう。
途中で小川があり、そのせせらぎの音を聴きながら峠の釜飯を食す。
小川を過ぎると峠までもうすぐ。
狭い掘割道を進んで行くと、
左手の塁壁が高く、道がその高さに逹する辺りに、虎口がある。
昨年5月に発見されたばかりの碓氷峠城である。
直登出来る虎口の少し先に、斜めに入る明確な虎口がある。
この虎口を入ると奥まで続く帯曲輪である。
虎口は枡形になっており、
土塁で囲われた二つの方形の曲輪、これが竪堀で西側と分断している。
二つの方形曲輪と主要部は横堀で区切られ、
二段の大きめの曲輪がある。
南側に通路があり、斜めに入る虎口がはっきりわかる。
というか、、この城、殆どが墓地である。
てっきり新発見というから数百年間放置された空間なのかと思っていたら、割と最近の墓もあった。
峠側から見ると、左が中山道、右が尾根先端に向かう道のY字分岐点のすぐ傍であり、
二つの道の間に城があるという感じ。
削平地という観点でいえば右の道の左右に展開されて両方に墓地がいくつもある。
もっと秘境的な雰囲気を想像していたので、ちょっと残念かな(¬_¬)
峠はそこから数分程度。
峠部分は広く、熊野神社が立つ。
神社のちょうど中心に県境(国境)が引かれている。
熊野神社の奥の院は、ちゃんとした参道もない山の中腹に本当に中途半端な場所にこぢんまりと小さな祠があるだけであった。
本殿は立派なのに奥の院はなんでこんな小さいんだろう?
峠から西は国道と並走するが、
つまらないので自然歩道を下ったのだけれど、
谷間に入り組んだ道なのでちょっと怖い。
特に面白い箇所もないので、
素直に舗装された国道を下っていっても良かったかも知れない。
コメント
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はじめまして。碓氷峠愛好家です(爆)
碓氷に山城があったとは(;・・)ゞ
碓氷スゲ‐
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