焼肉竹の親父の山歩記 高畑山(滋賀県) 嗚呼、サムシング・グレイト・マウンテン❣️
- GPS
- 03:25
- 距離
- 4.9km
- 登り
- 508m
- 下り
- 509m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
快適 |
写真
感想
2020年11月24日登頂
世界は贈与でできている。
決して見返りなど求めない、その心こそが本来の意味での人間に価値あるものを産み出したのに違いない。
人は、今までになかったもの、イメージしたものをことごとく生み出し、実現してきた。
否、この世界はイメージそのものなのではないか。
換言すれば、イメージしたものしか存在しない。
神ではなく、生命エネルギーによって。
そんな掴み用のないエネルギーの海を渡る世間。何々ばかりと、もうこれ以上、嘆くことなかれ。
その最たるものが自然の恵みである。
高畑山の360度視界の拡がる頂上に立った時、そんな感慨が腹の底から込み上げてきて、感動に打ち震えたのだった。
もはや感動のレベルを超えて、深淵なる何か、サムシンググレイトと繋がっていた。
そんな大自然に対して人の存在なんてあまりにも小さくて、その一生は、過ぎてみれば驚くほどに短い。
10年、20年前、否、50数年前の人生のはじまりでさえ、ついこの間のように感じる。
泡沫の夢は、まさに文字通り、人に儚く、どこかへ飛んで、シャボン玉のように弾けては逝く。
ふと過った。
晩年になってからの山登りは、地球とのお別れの儀式ではないのかと。
地球本来の姿に近い場所であり、美しい自然に囲まれた山。
身体は元より、魂を包み込まれるような場所。
そう、ここが私の、私たちの故郷なのだから。
生命が宇宙に溶け込めば、あるいは生命の中にある宇宙と融合すれば、もうここに戻って来ることなど出来ないだろう。
私たちは多分、大いなる生命体から分離して、それ故に可能になった「経験」するために生まれてきたのだろう。
そしてイメージを形付けるために、あるいはその型枠を探し出すために生を彷徨う。
必要充分な成果を得て、もう、やり直しなどしたくもない。
だから、無意識の領域である潜在意識でそれを感知し、別れ難い気持ちを鎮めるために入山するのではないのかと。
懐かしい町、懐かしい風景、懐かしい人。
トレールを歩いていると、次々と走馬灯のように浮かんでは消えたりする。
時に、不意打ちを喰らい、得体の知れない感情が込み上げてきて、涙が出てしまうことがあって困惑していたが、こういう理由だったのかと思う。
ちょっと足を踏み込めば、まだまだ残る大自然の恵み、広大で荘厳な風景。
大きな、大きなため息が出たり、反対に息を呑むような美しい景観に出会った時の感動。
感動に震えるとはこういうことなのかと実感する。
繰り返しになるが、歳を取ってからの山登りは、間も無くこの美し過ぎる星を去らなければならないことに対する憐憫の情がその根底に泥濘みのように横たわり、その捕らわれた足を抜くが如くに急な坂を登り続けているのかも知れない。
悲しげな目で、鏡に映る我が顔の皺を数えてみたり、禿げた頭をさすりつつ、以前の感触と比べてみたり、物覚えが悪くなり、頭の回転が鈍くなったと嘆いてみても、若さや時間は戻ってきやしない。
それより、年々滋味深く、人の温もりや自然の美が真っ直ぐに染み渡ってくるこの心をこそ、さらに輝かせ、地平線の向こうに静かに黄金色に沈めていきたいと願う。
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