ホハレ峠
天候 | 曇り時々雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2019年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ジャンルをハイキングとしたが、ドライブという呼称が無い為で、写真をとる時以外は車の中。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
峠直下のダートは雨上がりでぬかるんでおり、四駆でないと無理。ジムニーをスーパーロー6000回転まで吹かして泥濘を脱出。晴天続きの後であれば、普通車でも可能だろう。ただし轍が深いと腹をこするかも知れない。 この季節は草木で覆われており、浅又谷の断崖絶壁は目に入らないが、積雪期はスリップの恐怖感が半端ではない。麓から峠までガードレール等一切無し。 動物は鹿2頭、サル多数とイビデン発電所付近で狸の家族に遭遇。 |
写真
感想
ホハレ峠とは何とも物悲しい響きの不思議な名前だが、かつて旧徳山村の人々がこの峠を越えて、岐阜や大垣との交流に使った大動脈だったのだ。そしてこの峠を越える際、頬が腫れるぐらいの辛さだったから「頬腫れ」とよばれるようになったらしい。今は麓の坂内川上から、車で20分もあれば峠にたどりつけるが、車のなかった昭和以前は急峻な浅又谷を登るしかなかった。南斜面だから夏は身を焦がすような日照り、冬は雪崩の恐怖に怯えながら、息絶え絶えに越えたらしい。
以前岐阜県立図書館で大正時代の記録を読んだことがあるが、門入と戸入の男衆15人が、村の収入源だった栃板や獣の皮を、坂内へ運んだ帰途、雪崩に遭遇したことがあったらしい。大晦日の夜で、雪の中を徳山本郷からも捜索応援が来て、黒谷は松明の行列で埋まったそうだ。働き盛りの男衆15人は村の生命線だったのだろう。
頬を腫らしながら辿り着いた峠には、小さな地蔵が祀られていて、だれもが思わず合掌した。やっとのことで辿り着けた感謝と、これから先の無事を祈ったのだ。いつごろから、その地蔵が置かれてきたのかはっきりしないが、江戸前期の記録には残されており、数百年は風雪に耐えてそこに座っていたことは確かなことだ。
先月のHermit crab さんの山行記録を拝見し、そのホハレ地蔵が無くなっていることを知った。徳山烏帽子、千回沢や美濃又丸登山も含め、いままで15回はこの峠を越えているから、30回はホハレ地蔵を拝んできたことになる。(徳山ダム建設以前は蔵ヶ谷まで車で入れたから、ホハレを通るようになったのは15年前から)
私にとって、お地蔵はそこにあって当たり前の存在だったのだ。
どこの誰が何の目的があって、持ち去ったのか分からないし、我々登山者がどうのこうのと言う筋合いのものでも無いかも知れない。ただ、たとえ顔かたちが無くなろうとも、道が無くなろうとも、そんなお地蔵さんが、そこに数百年の間座っていたことを、後世に残すことは我々の務めだったはずだ。それがすっかり消えてしまって、ホハレがホハレでなくなったようで、かなしいやら悔しいやらで、どこにこの怒りを持っていったらいいのか分からない。
お地蔵はハンマーか何かで叩き壊されたのだろう。コンクリートの破壊試験と検査を毎日のようにやっている私には、割れ口をひと目見れば判断できる。熊やサルに出来る仕業ではない。
揖斐川町や岐阜県はこの事実を知っているのだろうか。それとも、そんなゼニにもならない山奥の出来事など、知ったことじゃないとでも思っているのだろうか。
たぶんまたひとつ、徳山村の歴史が消されていくことになるのだろう。あの村は、あれだけ多くのものを失ったのに、まだ世間はハイエナのように、その抜け殻まで奪おうとするのだろうか。
湛水される直前の櫨原の廃墟を歩いた時も寂しかったが、きょうはそれ以上だ。誰にでもない、自分にでもなく「くそッ!」と、コップの焼酎を飲みほした。
maasuke1さん こんにちは〜
なんと今日ホハレ峠まで行かれてたんですか
天気がいい日と思っていたので今日は門入へ行くのはやめておいたんですが、意外に雨 が降らなかったので午後から根尾奥谷からのソボ洞〜コカシ洞〜尾並坂峠に行ってました
私もホハレ峠までの偵察に行っていればmaasuke1さんにお会いできたのに残念です
hermit-crabさんのレコでホハレ峠のお地蔵さんがいなくなってしまったのを知って私もショックでした
あんなに重いものを盗んでいく人がいるんでしょうか。。。
修理かなにかで一時的に関係者の方が持って行ってるだけと信じたいです
こんばんは。
門入には、今日のような雨が降ったり止んだりの日は行かない方が良いと思います。黒谷の大堰堤から先は、やぶ漕ぎですから、ほんとうに海で泳いでいるように濡れてしまうでしょう。
今日、ホハレでガッカリしてやる気を失くし、ハーモニカさえ吹けませんでした。今、焼酎を飲んでいるところです。やけ酒です。
maasuke1さん
はじめまして。
2013年の夏に初めてホハレ峠に行き、門入を往復してから、またお地蔵さんに会いに行きたいと思っていました。
理由はわからないようですが、とても残念です。
今は関東に住み、すぐには行けませんが、またホハレ峠を越える日を夢見ています。
こんばんは。コメントありがとうございます。
2013年ごろはホハレから門入まで、まだ道がしっかりしていたとおもいます。
今はところどころ崩落と草ぼうぼうです。途中の丸太の橋も当時は5本渡してあったのが2本だけになってしまいました。
旧徳山村へはホハレ越えが唯一残された道です。いつまでも残したいものです。
来年の雪解けのころにホハレを越え、コビクラの谷を遡って銚子滝(奥美濃随一の美形)の下でテントを張ろうと計画しています。この滝へはいままで6回訪れていますが、熊の痕跡をそこかしこに見ることができます。熊もこの<奥美濃の貴婦人>はお気に入りのようです。
お返事ありがとうございます。
そうですか、今は荒れてるんですね。台風などで崩落しても直す人がいませんもんね。
元の住人の方は船で行けるようですし、道も使われなくなってきてるのでしょうか。でもずっと残って欲しいです。
静かな山中でのテント泊、いいですね。クマはちょっと怖いですが。。奥美濃の山々は藪も多いですが、残雪期なら行きやすいところもありますね。
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