2014年3月・・・まだ雪深い大台ケ原からの下山・・・崩壊した筏場道を急いで降りていました。この道は何か所も崩壊して通行困難でした。大崩壊地をなんとかトラバースしてやっとこさ 「ほっ」と安心して気を抜いて雪道を下っていますと、また巨大崩壊地に遭遇しました。
はて?こんな崩壊地を登ってきたかぁ? でも目の前にでーんと 崩壊しているのだから 渡ってきたのでしょう・・・
夕暮れ時だったので この崩壊地をかなり下ってトラバースして渡り終え、また登って対岸の登山道を探すのですが、見当たりません・・・何度も薄暗い中、ここの急斜面を上下しながら 筏場道を探し出そうと試みましたが、やがて斜面で滑落して立木で 側頭部を強打・・・ここはどこ?私はだぁれ?
気温は氷点下なのに 汗びっしょり。
飲料水は底を尽き、のどがカラカラ。
ヘッドランプを頼りに取ったのは、谷に降りる事でした。とにかく水を飲まないと・・・
どうにか急斜面を降り、最後は数メートルの崖でしたが なんとかクライムダウンで 谷底に降りれました。
沢の水をたらふく飲んだら さてどうする? です。
このままヘッドランプを点けて沢を下降するか?
雪の急斜面とルンゼを登攀して 元の道を探し出すか?
ここで ビバークするか?
気温は−3℃
持ってきているのは、ツェルトとユニクロの激安ダウンのみ。食糧は、アンパン1個と甘納豆数粒。
汗が引いて どんどん体感温度が下がります。
そこで選択したのが 岩穴を探すこと。
上半身だけがなんとか入る岩穴を発見し、そこにツェルトを張り ダウンを着ました。
午後7:30 これから長い間 寒さとの戦いです。
靴は春の大雪でびしょ濡れ。上から羽織ったダウンは汗の湿気でぺっちゃんこ。
勿論シュラフカバーさえありません。
岩穴を探したのは 下からの放射冷却から逃れるためです。
唯一リュックに入っているアンパンは、明日の為に残して 塩飴一粒だけで この夜をビバークです。
眠ったら死ぬは、疲労困憊して 意識混濁してからのこと。
寒いけれど、まだ意識も思考力もある。
死ぬ前に寒さで起きると 加藤文太郎氏が 言っていたのを 思い出し
眠りました。
何回も起きては震え。震えては寝ていました。
朝の3時からは、ひたすら夜明けを待ちました。
夜が明けると このまま 沢を下るか?
少し下流の左岸のルンゼを登攀して 筏場道を 見つけ出すか?
この日、はロープも下降器も持参していませんでした。
そういう時は 迷わず 甘納豆を一口入れてのルンゼ登攀です。
しっかりと明るくなりましたら そのルンゼも 思ったよりも難しkなくて、最後のハングは右手に逃げて、草付をして植林帯に入り込み、杉の木をホールドにして急斜面を登ると、昨日渡った大崩壊に着きました。
取りあえずコレを再度トラバースしたら やっと道に出ました。
はい、筏場道は、この大崩壊地を目の前にして180°Uターンの転換をしなくちゃいけない場所でした。
よく見ると、雪が凹んでいます。
ありました。雪の筏場道が。
夕暮れ時に焦っていましたので、ここの180°転換地点に頭が回らず、直進の大崩壊をトラバースして奥地に迷い込んでしまい、下の沢に強引に降りたのが判りました。
しばらく降りると雪もなくなり しっかりとした道になりました。つり橋を渡り終えたら「ほっ」と安ど感で、疲れがどどっとでてきました。
さて、真っ暗な中 沢を降りていたら このつり橋の下の壮絶なゴルジュで 終わっていたでしょう。
リュックの中には、小さなコーラの缶くらいのツェルトが いつも 入れっぱなしです。
万が一のため、時間がかかりそうなコースの場合は、これが有効ですね。
もし ツェルトがなかったら・・・
朝まで 耐えられたかどうか微妙でした。
はて?こんな崩壊地を登ってきたかぁ? でも目の前にでーんと 崩壊しているのだから 渡ってきたのでしょう・・・
夕暮れ時だったので この崩壊地をかなり下ってトラバースして渡り終え、また登って対岸の登山道を探すのですが、見当たりません・・・何度も薄暗い中、ここの急斜面を上下しながら 筏場道を探し出そうと試みましたが、やがて斜面で滑落して立木で 側頭部を強打・・・ここはどこ?私はだぁれ?
気温は氷点下なのに 汗びっしょり。
飲料水は底を尽き、のどがカラカラ。
ヘッドランプを頼りに取ったのは、谷に降りる事でした。とにかく水を飲まないと・・・
どうにか急斜面を降り、最後は数メートルの崖でしたが なんとかクライムダウンで 谷底に降りれました。
沢の水をたらふく飲んだら さてどうする? です。
このままヘッドランプを点けて沢を下降するか?
雪の急斜面とルンゼを登攀して 元の道を探し出すか?
ここで ビバークするか?
気温は−3℃
持ってきているのは、ツェルトとユニクロの激安ダウンのみ。食糧は、アンパン1個と甘納豆数粒。
汗が引いて どんどん体感温度が下がります。
そこで選択したのが 岩穴を探すこと。
上半身だけがなんとか入る岩穴を発見し、そこにツェルトを張り ダウンを着ました。
午後7:30 これから長い間 寒さとの戦いです。
靴は春の大雪でびしょ濡れ。上から羽織ったダウンは汗の湿気でぺっちゃんこ。
勿論シュラフカバーさえありません。
岩穴を探したのは 下からの放射冷却から逃れるためです。
唯一リュックに入っているアンパンは、明日の為に残して 塩飴一粒だけで この夜をビバークです。
眠ったら死ぬは、疲労困憊して 意識混濁してからのこと。
寒いけれど、まだ意識も思考力もある。
死ぬ前に寒さで起きると 加藤文太郎氏が 言っていたのを 思い出し
眠りました。
何回も起きては震え。震えては寝ていました。
朝の3時からは、ひたすら夜明けを待ちました。
夜が明けると このまま 沢を下るか?
少し下流の左岸のルンゼを登攀して 筏場道を 見つけ出すか?
この日、はロープも下降器も持参していませんでした。
そういう時は 迷わず 甘納豆を一口入れてのルンゼ登攀です。
しっかりと明るくなりましたら そのルンゼも 思ったよりも難しkなくて、最後のハングは右手に逃げて、草付をして植林帯に入り込み、杉の木をホールドにして急斜面を登ると、昨日渡った大崩壊に着きました。
取りあえずコレを再度トラバースしたら やっと道に出ました。
はい、筏場道は、この大崩壊地を目の前にして180°Uターンの転換をしなくちゃいけない場所でした。
よく見ると、雪が凹んでいます。
ありました。雪の筏場道が。
夕暮れ時に焦っていましたので、ここの180°転換地点に頭が回らず、直進の大崩壊をトラバースして奥地に迷い込んでしまい、下の沢に強引に降りたのが判りました。
しばらく降りると雪もなくなり しっかりとした道になりました。つり橋を渡り終えたら「ほっ」と安ど感で、疲れがどどっとでてきました。
さて、真っ暗な中 沢を降りていたら このつり橋の下の壮絶なゴルジュで 終わっていたでしょう。
リュックの中には、小さなコーラの缶くらいのツェルトが いつも 入れっぱなしです。
万が一のため、時間がかかりそうなコースの場合は、これが有効ですね。
もし ツェルトがなかったら・・・
朝まで 耐えられたかどうか微妙でした。
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