トムラウシ山遭難はなぜ起こったか
低体温症と事故の教訓
羽根田 治 他三名著 −1−
◆遭難の経過
トムラウシ山遭難が起きたのは、2009年7月13〜17日のツアーで起きた。
ガイド3名(途中から別行動のポーター1人)+15名(55〜69才。長期の登山経験のない人もいたが、経験豊富な人が多かった。ほとんど初対面)
4泊のうち、避難小屋が2泊。
報道では、夏場の軽装だっと伝えられたが、セパレートの雨具、ダウン、ツェルト、アイゼン等装備はしっかりしていた。
軽装としたのは、装備として持ってはいたが、着る機会を逃してきれなかった人がいたということだった。
2日目は、前泊の旅館を出、2泊目の避難小屋まで順調に進む。
3日目は、朝から雨。強風が吹いたり、時折雨が強く降ったりした。
避難小屋に到着時間は、2〜3時(はっきりした記録なし)。行動時間は、約9時間ほど。
雨具の手入れの仕方(防水スプレー)、スパッツ(登山靴をしっかり覆うタイプ)等で、濡れに差が出る。
また、小屋の場所取りで、隙間から雨が入り込んだり、雨に濡れた衣服のせいで濡れ、睡眠がとれない人もでる。
(濡れた衣服は、ほとんど乾かない)
4日目。5:30出発、朝から強い風と雨(夜中よりは弱まる)。1日目の天気予報では、天気は快方に進むと。
トムラウシ山には登らず、横の迂回ルートで進むことに。
出発後、1時間も経たないうちに行動に支障をきたす人が2名(何度も倒れる)。
稜線に出るまでは、風はそれほど強くない。
稜線に出、強風(風速20m、時折風は弱くなる)、エスケープルートは選ばず、そのまま進む。
日本庭園で風が強くなる(飛ばされそうになるほど)。
ロックガーデンで、同じ山小屋で一緒だった別のパーティに追い越される(9:30過ぎ)。
かなり遅いペースだったという。
ロックガーデン後、広い丘で、まっすぐに立って歩けないほどの風上からの強風。耐風姿勢◆で行く。
◆−体ごと吹き飛ばされそうな風が吹いている時、腰をかがめるように姿勢を低くし、風上側に頭をもってくる姿勢。
北沼で、水が溢れ出し、2m幅の流れとなる(10時ごろ。水はふくらはぎの下〜ひざ下くらい)。
ガイドA(61.リーダー兼旅程管理者)が流れの中に入り人を渡す。
そのサポートしていたガイドC(38.サブガイド。重いザックをかついだまま)がバランスを崩し転び、全身濡らす。
強風の中、そこを渡りきるのに、時間がかかる。
渡り終えた北沼分岐で、女性A(68才)が低体温症で行動不能になり、ガイド3人に介抱される。
その間参加者は、吹きさらしの中で待たされ、体が冷えていく。
(水流を渡り終えてから1〜2時間。記憶に違い)強風が続く。
その女性とガイドAが残ることに。(N氏がツェルトを貸す)※1
そのすぐ後、3人の女性(M62、O61、S59)が動けなくなり、ガイドB(32.メインガイド)とN氏(69才)が残り※2、
ガイドCと10人は先に進む。(ガイドCは、低体温症で体に異変が現れ始める)
男性I(66才)が、意識障害行動不能に。
S氏(61)が1時間ほど留まり介抱するがどんどんおかしくなり、あきらめ先に進む。(のちに死亡)
先頭は進んでいて、パーティはバラバラになっていく。
(分岐では、後続を確認後、行くなどしていたが)
S氏は、15分ほどで、2人(62、69)を介抱しているS女史(68)に追いつく。
S女史は、ガイドCを呼びに行くため、S氏に2人の介抱を託す。
(ガイドCは、4人用テントを所持してたので、それを使用するため)
S氏は、40分ほど励まし介抱したが、奇声を発していた2人は反応もなくなり、どうすることもできなくなり、離れる(1:40)。
(2人は死亡)
(12時ごろには強風は止み、4時ごろには雨も止み、晴れていく)
午後4時前に、先頭のガイドCと☆女史が110番に救助要請(電波が入る)。
H女史(55)は、T女史(64)を留まり介抱してた。
Tは、しだいに受け答えができなくなり、倒れる。
HはツェルトをTにかけ、途方に暮れる。(4:28)
別行動になったガイドCが動かなくなる。意識を失い、ハイマツ帯に倒れこむ。(5:21)※3
H女史のところを、K氏〜S女史〜S氏(6:30ごろ)が、追い越していく。
Hは、ビバークすることを決め、Tのシュラフを冷たくなったTにかけ、
低木帯のうえにマットを敷き、その上に自分のシュラフを載せ、パンなどを食べ、雨具、登山靴のままシュラフに潜り込む。
(Tは死亡、Hは翌朝ヘリに救助)
最初に道にたどり着いたT氏(64)と☆女史は、午後11:55、報道の車に乗せてもらい、救助本部へ。
次にS氏とS女史が、0:50に、報道陣の車に拾われる。
K氏(65)は、林道から30分ほどの地点でビバークし、翌朝一般車に拾われる。
ガイドAと7人計8名、低体温症での死亡遭難事故となる。
※1−女性とガイドAは、死亡。
※2−ガイドBは所持したツェルトを張り、N氏とともに3人のケアにあたる。
Bは、南沼キャンプ場にテントを張っている人がいるかもと、行く。
たまたま登山整備業者がデポしていたテント、毛布、ガスコンロ等があり、数回ほど行き来し、持ち帰り使用。
会社に救助要請のメール(4:38)
保温等の甲斐もなく女性2名死亡。(Oは助かる)
※3−別の登山者が見つけ、110番通報。翌日午前11:35ヘリで病院に搬送され、助かる。
◆主催者側の問題点
このルートで登ったことがあるのは、ガイドBのみ。(ガイドCはトムラウシにも登ったこともない)
避難小屋で強風時は、稜線はもっと風が強くなる、また、雨が降れば、北沼は水が増水するなど、ガイドに予備知識が乏しい。
ガイド同士は、面識もなく、意思の疎通がとれていなかった(アップダウンの関係か)。
ガイドの選定は、旅行会社側の過失である
ガイドが天気図を読めていない。(高山では、平野部より天気回復が遅れる等)
強風時にツアー客に適切なアドバイス(防寒着を着る、行動食を食べてなど)もしていない。
低体温症と事故の教訓
羽根田 治 他三名著 −1−
◆遭難の経過
トムラウシ山遭難が起きたのは、2009年7月13〜17日のツアーで起きた。
ガイド3名(途中から別行動のポーター1人)+15名(55〜69才。長期の登山経験のない人もいたが、経験豊富な人が多かった。ほとんど初対面)
4泊のうち、避難小屋が2泊。
報道では、夏場の軽装だっと伝えられたが、セパレートの雨具、ダウン、ツェルト、アイゼン等装備はしっかりしていた。
軽装としたのは、装備として持ってはいたが、着る機会を逃してきれなかった人がいたということだった。
2日目は、前泊の旅館を出、2泊目の避難小屋まで順調に進む。
3日目は、朝から雨。強風が吹いたり、時折雨が強く降ったりした。
避難小屋に到着時間は、2〜3時(はっきりした記録なし)。行動時間は、約9時間ほど。
雨具の手入れの仕方(防水スプレー)、スパッツ(登山靴をしっかり覆うタイプ)等で、濡れに差が出る。
また、小屋の場所取りで、隙間から雨が入り込んだり、雨に濡れた衣服のせいで濡れ、睡眠がとれない人もでる。
(濡れた衣服は、ほとんど乾かない)
4日目。5:30出発、朝から強い風と雨(夜中よりは弱まる)。1日目の天気予報では、天気は快方に進むと。
トムラウシ山には登らず、横の迂回ルートで進むことに。
出発後、1時間も経たないうちに行動に支障をきたす人が2名(何度も倒れる)。
稜線に出るまでは、風はそれほど強くない。
稜線に出、強風(風速20m、時折風は弱くなる)、エスケープルートは選ばず、そのまま進む。
日本庭園で風が強くなる(飛ばされそうになるほど)。
ロックガーデンで、同じ山小屋で一緒だった別のパーティに追い越される(9:30過ぎ)。
かなり遅いペースだったという。
ロックガーデン後、広い丘で、まっすぐに立って歩けないほどの風上からの強風。耐風姿勢◆で行く。
◆−体ごと吹き飛ばされそうな風が吹いている時、腰をかがめるように姿勢を低くし、風上側に頭をもってくる姿勢。
北沼で、水が溢れ出し、2m幅の流れとなる(10時ごろ。水はふくらはぎの下〜ひざ下くらい)。
ガイドA(61.リーダー兼旅程管理者)が流れの中に入り人を渡す。
そのサポートしていたガイドC(38.サブガイド。重いザックをかついだまま)がバランスを崩し転び、全身濡らす。
強風の中、そこを渡りきるのに、時間がかかる。
渡り終えた北沼分岐で、女性A(68才)が低体温症で行動不能になり、ガイド3人に介抱される。
その間参加者は、吹きさらしの中で待たされ、体が冷えていく。
(水流を渡り終えてから1〜2時間。記憶に違い)強風が続く。
その女性とガイドAが残ることに。(N氏がツェルトを貸す)※1
そのすぐ後、3人の女性(M62、O61、S59)が動けなくなり、ガイドB(32.メインガイド)とN氏(69才)が残り※2、
ガイドCと10人は先に進む。(ガイドCは、低体温症で体に異変が現れ始める)
男性I(66才)が、意識障害行動不能に。
S氏(61)が1時間ほど留まり介抱するがどんどんおかしくなり、あきらめ先に進む。(のちに死亡)
先頭は進んでいて、パーティはバラバラになっていく。
(分岐では、後続を確認後、行くなどしていたが)
S氏は、15分ほどで、2人(62、69)を介抱しているS女史(68)に追いつく。
S女史は、ガイドCを呼びに行くため、S氏に2人の介抱を託す。
(ガイドCは、4人用テントを所持してたので、それを使用するため)
S氏は、40分ほど励まし介抱したが、奇声を発していた2人は反応もなくなり、どうすることもできなくなり、離れる(1:40)。
(2人は死亡)
(12時ごろには強風は止み、4時ごろには雨も止み、晴れていく)
午後4時前に、先頭のガイドCと☆女史が110番に救助要請(電波が入る)。
H女史(55)は、T女史(64)を留まり介抱してた。
Tは、しだいに受け答えができなくなり、倒れる。
HはツェルトをTにかけ、途方に暮れる。(4:28)
別行動になったガイドCが動かなくなる。意識を失い、ハイマツ帯に倒れこむ。(5:21)※3
H女史のところを、K氏〜S女史〜S氏(6:30ごろ)が、追い越していく。
Hは、ビバークすることを決め、Tのシュラフを冷たくなったTにかけ、
低木帯のうえにマットを敷き、その上に自分のシュラフを載せ、パンなどを食べ、雨具、登山靴のままシュラフに潜り込む。
(Tは死亡、Hは翌朝ヘリに救助)
最初に道にたどり着いたT氏(64)と☆女史は、午後11:55、報道の車に乗せてもらい、救助本部へ。
次にS氏とS女史が、0:50に、報道陣の車に拾われる。
K氏(65)は、林道から30分ほどの地点でビバークし、翌朝一般車に拾われる。
ガイドAと7人計8名、低体温症での死亡遭難事故となる。
※1−女性とガイドAは、死亡。
※2−ガイドBは所持したツェルトを張り、N氏とともに3人のケアにあたる。
Bは、南沼キャンプ場にテントを張っている人がいるかもと、行く。
たまたま登山整備業者がデポしていたテント、毛布、ガスコンロ等があり、数回ほど行き来し、持ち帰り使用。
会社に救助要請のメール(4:38)
保温等の甲斐もなく女性2名死亡。(Oは助かる)
※3−別の登山者が見つけ、110番通報。翌日午前11:35ヘリで病院に搬送され、助かる。
◆主催者側の問題点
このルートで登ったことがあるのは、ガイドBのみ。(ガイドCはトムラウシにも登ったこともない)
避難小屋で強風時は、稜線はもっと風が強くなる、また、雨が降れば、北沼は水が増水するなど、ガイドに予備知識が乏しい。
ガイド同士は、面識もなく、意思の疎通がとれていなかった(アップダウンの関係か)。
ガイドの選定は、旅行会社側の過失である
ガイドが天気図を読めていない。(高山では、平野部より天気回復が遅れる等)
強風時にツアー客に適切なアドバイス(防寒着を着る、行動食を食べてなど)もしていない。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベスさんの記事一覧
- グレゴリーのザックのヒモが切れた! 29 更新日:2019年05月02日
- 登山靴の合う、合わない 58 更新日:2015年09月14日
- トムラウシ山遭難はなぜ起こったか 低体温症と事故の教訓 No.4 47 更新日:2014年09月13日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
私には全く見ることができません。何か設定が必要なんでしょうか?
ご連絡頂き、ありがとうございました。
やり方が悪かったようで、文章が消えてしまったようです。
もう一度、登録しなおしました。
ご連絡いただかなかったら、わからかなったです。
本当にありがとうございました<(_ _)>
henry3です。 早速読ませて戴きました。ありがとうございます。
涸沢テント場にて薄着でアルコールを摂取していたときに一度経験していまして、人ごとではないので気をつけようと思います。
henry3さん、ありがとうございました。
低体温症を経験されたことがあったなんて、それはびっくりされたでしょうね。
回復されて良かったです。
高度が高い山は、通常と違う環境ですので、気をつけなくてはと思いました。
ありがとうございました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する