2−12章(2) 剣岳 〜岩と氷雪の殿堂〜 (2、氷雪の殿堂編)
前節(1.岩の殿堂編)では、剣岳の地質(岩石)について説明しました。
本来、このヤマノート解説シリーズは、全国の山々の地質について説明するのが主目的で、地形学、氷雪学に関する分野はあまり説明する考えはなかったのですが、剣岳については、氷河に関する説明は欠かせません。
よって、この節(2.氷雪の殿堂編)では、剣岳とその周辺の氷河地形、現存氷河について説明します。
(1)氷河が削りだした険しい山容
剣岳があれほど険しい山容をしているのは、構成する地質(岩石)のせいだけではなく、氷河期に剣岳付近を覆っていた山岳氷河が、硬い岩を削りだして、現在の姿を作り出しています。
現在は「間氷期」ですが、一つ前の「氷河期」は約11万年前〜約1.2万年前まで、約10万年もの長い期間、続きました(酸素同位体ステージ(MIS)の4,3、2の時期に相当)。
そのうち特に、約8〜6万年前(MIS;ステージ4)と約2万年前(MIS;ステージ2)には日本アルプス各地および日高山脈では山岳氷河が発達しました。立山付近の氷河については、前者が「室堂期」、後者が「立山期」と名付けられています(文献5)。
その頃の剣岳山頂とその周辺は氷河に覆われていたでしょう。その本流は現在の剣沢(雪渓)で、最上流部はカール状の少し広がった緩い斜面を形成しています(「はまぐり雪」という、万年雪状の雪田があります)。
そこから分かれた枝氷河が、小窓雪渓、三の窓雪渓、長次郎谷、平蔵谷など、剣岳東面の氷食谷を作りました。これらの氷食谷が稜線部に突き上げる部分は、コル状となっており、「窓」と呼ばれています(例;大窓、小窓、三の窓)。北アルプスでもここ以外にはあまり見かけない、氷河期独特の氷食地形です。稜線の西側にある「池の谷」(いけんたん)も、氷食谷だと思われます。
氷食谷や窓が形成されている場所は、文献3)によると、第四紀に地中から上がって来た熱い「黒部別山花崗岩」の熱変成作用で、再結晶して硬くなったジュラ紀花崗岩体のうち、相対的に弱い部分が選択的に浸食されてできたもの、と説明されています。また氷食谷と氷食谷との間は、両側から氷河で削られ、源次郎尾根や八つ峰といった険しい岩稜を形成しています。
(2)現生氷河の存在
最近になり、三の窓雪渓、小窓雪渓の一部に、現在も「氷河」があることが発見され、大きなニュースとなりました。北アルプスの現生氷河は、それ以外に、立山の内蔵助カールの雪田の下や、鹿島槍ヶ岳北側の「カクネ里」雪渓などでも見つかっており、2019年時点では、7か所の氷河(※)が見つかっています(文献4ほか)。
※注1)個々の氷河は備考欄に記載。
これらの氷河は、前の氷河期(約1.2万年前まで)の生き残りでしょうか?
その点についてはまだ研究が進んでないようですが、私は、日本列島では、いったん前氷河期の氷河はすべて溶けてしまった、と考えています。
というのは、氷河期が終わった後、約8000年前〜約4000年前(文献6)までの間(約7000年前〜約5500年前(文献5)など、期間には諸説あり)は、「高温期」(あるいは「気候最適期;Climatic optimum」や「ヒプシサーマル;Hypsi thermal」)と呼ばれる、現在より温暖な時代だったからです(文献6、文献7)。
「高温期」には、現在(例えば西暦2000年基準)よりも、全地球的に+2〜3℃、気温が高く(文献5、文献6)、そのせいでグリーンランドや南極の氷床が溶けて、海水面が現在より数m高かったことが、古地理学、考古学的研究で知られています。
日本ではその時代を地形学、考古学の分野では「縄文海進期」とも呼びますが(文献5、6、7、8)、関東平野、濃尾平野、大阪平野などの低い平野は、海水面が現在より3〜5m(関東平野では+10〜20m)は高くなり(文献5、8)、かなり海が内陸へ侵入していたことが、「貝塚」の跡の分布などから解っています。
いずれにしろ、その数千年続いた「高温期」の期間に、氷河期にあった日本の氷河はすべて溶けてしまった、と考えています。
では、なぜ現在、北アルプス北部に小さいながらも氷河があるかということになりますが、紀元後(AD;1世紀以降)は「高温期」より2〜3℃は全地球的に気温が低下したことと(文献8)、北アルプスには冬期には毎年多量の雪が降り、その雪が積もりに積もって、谷への雪崩によって雪渓を作り(雪崩涵養型雪渓)、さらにその底に氷河が形成された、と考えています。
しかし、現在、地球温暖化が進んでおり、これらの氷河は22世紀を待たずに消滅するのではないでしょうか?
剣岳付近を含む北アルプスの氷河群は、消えていく運命にある、はかなく貴重な存在です。
注1) 2020年時点で確認されている、北アルプスの現生氷河(7か所)一覧
1) 三の窓氷河;剣岳稜線の東面、三の窓雪渓上部(2012年 認定)
最高厚さ;48m、長さ 約1200m、流動速度;約3.6m/年
2) 小窓氷河;剣岳稜線の東面;小窓雪渓上部(2012年 認定)
最高厚さ:>30m、長さ 約900m、流動速度;約3.7m/年
3) 御前沢(ごぜんざわ)氷河;立山東面、御前沢の上部(2012年 認定)
最高厚さ:27m、長さ 約700m、流動速度;約63cm/年
(上部、下部の2つの氷体に分かれる。上部は流動停止、下部はわずかに流動)
4) 池の谷(いけんたん)氷河;剣岳稜線の西面、池の谷右俣上部
(2018年 認定)
最高厚さ:39m、長さ 約860m、流動速度;約1.4〜2.0m/年
5) 内蔵助(くらのすけ)氷河;立山の内蔵助カール底(2018年 認定)
最高厚さ;25m、長さ 約350m、流動速度;約3cm/年
(※ 流動速度が小さいので、氷河ではなく化石氷河とする説もあり)
6) カクネ里氷河;鹿島槍ヶ岳北側のカクネ里(2018年 認定)
最高厚さ:>30m、長さ 約700m、流動速度;約2.6m/年
7) 唐松沢氷河;唐松岳の北東部、「不帰の険」の東側の深い谷
(2019年 認定)
最高厚さ;約35m、長さ;約1000m、流動速度;約25cm/月(秋)
(年単位での測定値は、まだ測定されていない模様)
(参考)はまぐり雪(雪田);剣沢最上部
流動性はほとんどないが、動きが休止中の小氷河とみなす意見もあり。
[文献4、9および各種ネットデータより、筆者まとめ]
この章(2-12章)の参考文献
(文献1)「薄片でよくわかる 岩石図鑑」チームG 編、誠文堂新光社刊(2014)
(文献2) 原山、高橋、中野、刈谷、駒澤 著
「地域地質研究報告 NJ-53-6-5 立山地域の地質」
通商産業省 工業技術院 地質調査所 刊、(2001)
(文献3) 「超火山 槍・穂高」 原山、山本 共著、山と渓谷社 刊(2003)
(文献4) 「カクネ里氷河見学会・勉強会資料-1、-2」吉田著 (2018)
(文献5) 山崎、久保 共著「日本列島100万年史」
講談社(ブルーバックス)(2017)
(文献6) 「気象・2」 地質団体研究会 編、東洋大学出版会 刊(1977)
(文献7) 「岩波講座 地球惑星科学 11、気候変動論」
住、安成、阿部他編、岩波書店 刊 (1996)
(文献8) 「日本の地形1 総説」米倉、貝塚ら 編、東京大学出版会(2001)
(文献9) 「立山・剱の氷河」 ネット投稿、福井(立山カルデラ砂防博物館)
本来、このヤマノート解説シリーズは、全国の山々の地質について説明するのが主目的で、地形学、氷雪学に関する分野はあまり説明する考えはなかったのですが、剣岳については、氷河に関する説明は欠かせません。
よって、この節(2.氷雪の殿堂編)では、剣岳とその周辺の氷河地形、現存氷河について説明します。
(1)氷河が削りだした険しい山容
剣岳があれほど険しい山容をしているのは、構成する地質(岩石)のせいだけではなく、氷河期に剣岳付近を覆っていた山岳氷河が、硬い岩を削りだして、現在の姿を作り出しています。
現在は「間氷期」ですが、一つ前の「氷河期」は約11万年前〜約1.2万年前まで、約10万年もの長い期間、続きました(酸素同位体ステージ(MIS)の4,3、2の時期に相当)。
そのうち特に、約8〜6万年前(MIS;ステージ4)と約2万年前(MIS;ステージ2)には日本アルプス各地および日高山脈では山岳氷河が発達しました。立山付近の氷河については、前者が「室堂期」、後者が「立山期」と名付けられています(文献5)。
その頃の剣岳山頂とその周辺は氷河に覆われていたでしょう。その本流は現在の剣沢(雪渓)で、最上流部はカール状の少し広がった緩い斜面を形成しています(「はまぐり雪」という、万年雪状の雪田があります)。
そこから分かれた枝氷河が、小窓雪渓、三の窓雪渓、長次郎谷、平蔵谷など、剣岳東面の氷食谷を作りました。これらの氷食谷が稜線部に突き上げる部分は、コル状となっており、「窓」と呼ばれています(例;大窓、小窓、三の窓)。北アルプスでもここ以外にはあまり見かけない、氷河期独特の氷食地形です。稜線の西側にある「池の谷」(いけんたん)も、氷食谷だと思われます。
氷食谷や窓が形成されている場所は、文献3)によると、第四紀に地中から上がって来た熱い「黒部別山花崗岩」の熱変成作用で、再結晶して硬くなったジュラ紀花崗岩体のうち、相対的に弱い部分が選択的に浸食されてできたもの、と説明されています。また氷食谷と氷食谷との間は、両側から氷河で削られ、源次郎尾根や八つ峰といった険しい岩稜を形成しています。
(2)現生氷河の存在
最近になり、三の窓雪渓、小窓雪渓の一部に、現在も「氷河」があることが発見され、大きなニュースとなりました。北アルプスの現生氷河は、それ以外に、立山の内蔵助カールの雪田の下や、鹿島槍ヶ岳北側の「カクネ里」雪渓などでも見つかっており、2019年時点では、7か所の氷河(※)が見つかっています(文献4ほか)。
※注1)個々の氷河は備考欄に記載。
これらの氷河は、前の氷河期(約1.2万年前まで)の生き残りでしょうか?
その点についてはまだ研究が進んでないようですが、私は、日本列島では、いったん前氷河期の氷河はすべて溶けてしまった、と考えています。
というのは、氷河期が終わった後、約8000年前〜約4000年前(文献6)までの間(約7000年前〜約5500年前(文献5)など、期間には諸説あり)は、「高温期」(あるいは「気候最適期;Climatic optimum」や「ヒプシサーマル;Hypsi thermal」)と呼ばれる、現在より温暖な時代だったからです(文献6、文献7)。
「高温期」には、現在(例えば西暦2000年基準)よりも、全地球的に+2〜3℃、気温が高く(文献5、文献6)、そのせいでグリーンランドや南極の氷床が溶けて、海水面が現在より数m高かったことが、古地理学、考古学的研究で知られています。
日本ではその時代を地形学、考古学の分野では「縄文海進期」とも呼びますが(文献5、6、7、8)、関東平野、濃尾平野、大阪平野などの低い平野は、海水面が現在より3〜5m(関東平野では+10〜20m)は高くなり(文献5、8)、かなり海が内陸へ侵入していたことが、「貝塚」の跡の分布などから解っています。
いずれにしろ、その数千年続いた「高温期」の期間に、氷河期にあった日本の氷河はすべて溶けてしまった、と考えています。
では、なぜ現在、北アルプス北部に小さいながらも氷河があるかということになりますが、紀元後(AD;1世紀以降)は「高温期」より2〜3℃は全地球的に気温が低下したことと(文献8)、北アルプスには冬期には毎年多量の雪が降り、その雪が積もりに積もって、谷への雪崩によって雪渓を作り(雪崩涵養型雪渓)、さらにその底に氷河が形成された、と考えています。
しかし、現在、地球温暖化が進んでおり、これらの氷河は22世紀を待たずに消滅するのではないでしょうか?
剣岳付近を含む北アルプスの氷河群は、消えていく運命にある、はかなく貴重な存在です。
注1) 2020年時点で確認されている、北アルプスの現生氷河(7か所)一覧
1) 三の窓氷河;剣岳稜線の東面、三の窓雪渓上部(2012年 認定)
最高厚さ;48m、長さ 約1200m、流動速度;約3.6m/年
2) 小窓氷河;剣岳稜線の東面;小窓雪渓上部(2012年 認定)
最高厚さ:>30m、長さ 約900m、流動速度;約3.7m/年
3) 御前沢(ごぜんざわ)氷河;立山東面、御前沢の上部(2012年 認定)
最高厚さ:27m、長さ 約700m、流動速度;約63cm/年
(上部、下部の2つの氷体に分かれる。上部は流動停止、下部はわずかに流動)
4) 池の谷(いけんたん)氷河;剣岳稜線の西面、池の谷右俣上部
(2018年 認定)
最高厚さ:39m、長さ 約860m、流動速度;約1.4〜2.0m/年
5) 内蔵助(くらのすけ)氷河;立山の内蔵助カール底(2018年 認定)
最高厚さ;25m、長さ 約350m、流動速度;約3cm/年
(※ 流動速度が小さいので、氷河ではなく化石氷河とする説もあり)
6) カクネ里氷河;鹿島槍ヶ岳北側のカクネ里(2018年 認定)
最高厚さ:>30m、長さ 約700m、流動速度;約2.6m/年
7) 唐松沢氷河;唐松岳の北東部、「不帰の険」の東側の深い谷
(2019年 認定)
最高厚さ;約35m、長さ;約1000m、流動速度;約25cm/月(秋)
(年単位での測定値は、まだ測定されていない模様)
(参考)はまぐり雪(雪田);剣沢最上部
流動性はほとんどないが、動きが休止中の小氷河とみなす意見もあり。
[文献4、9および各種ネットデータより、筆者まとめ]
この章(2-12章)の参考文献
(文献1)「薄片でよくわかる 岩石図鑑」チームG 編、誠文堂新光社刊(2014)
(文献2) 原山、高橋、中野、刈谷、駒澤 著
「地域地質研究報告 NJ-53-6-5 立山地域の地質」
通商産業省 工業技術院 地質調査所 刊、(2001)
(文献3) 「超火山 槍・穂高」 原山、山本 共著、山と渓谷社 刊(2003)
(文献4) 「カクネ里氷河見学会・勉強会資料-1、-2」吉田著 (2018)
(文献5) 山崎、久保 共著「日本列島100万年史」
講談社(ブルーバックス)(2017)
(文献6) 「気象・2」 地質団体研究会 編、東洋大学出版会 刊(1977)
(文献7) 「岩波講座 地球惑星科学 11、気候変動論」
住、安成、阿部他編、岩波書店 刊 (1996)
(文献8) 「日本の地形1 総説」米倉、貝塚ら 編、東京大学出版会(2001)
(文献9) 「立山・剱の氷河」 ネット投稿、福井(立山カルデラ砂防博物館)
公益社団法人日本雪氷学会広報委員会
立山カルデラ砂防博物館 学芸員 福井氏 作成 (年度不明)
立山カルデラ砂防博物館 学芸員 福井氏 作成 (年度不明)
カクネ里氷河を含め、北アルプスの現存氷河について、簡単な解説あり。
吉田 勝氏 作成、(2018年)
吉田 勝氏 作成、(2018年)
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※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
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楽しく読ませて頂きました。
表記の件、このコメント投稿時点では記述されていないようですのでお知らせしました。
たぶんメートルとは思いますが、 前後の文脈に極端に小さいセンチもあったので念のために。
chusakaiさん、コメント(誤記指摘)、ありがとうございます。
加筆修正しました。単位は ”m”でした。
この連載は、まずはwordで原稿を作成し、何回か確認、修正したのち、ヤマノートに記載してますが、年のせいか? あるいはもともとボーっとした性格のせいか? 所々、誤記や記載漏れがありますね。失礼しました(笑)。
でも、この連載をしっかり見て頂いている方がいることが解り、反応があることは嬉しいことです。
これからもちょっとしたコメントでも頂けると、やる気がでますので、宜しくお願いしますね。
剣沢と長次郎谷を通った際、ここの深さは?速度は?いったいどれくらいだろうと思ってました。
せっかくなのでその時の記録を、、、
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-218658.html
以前から連載があったのを、承知してましたが、拝見したのは今回が初めてでした。
これも縁ですので、以前の記事も拝見させてください!
※誤記ではなく脱字ですね。
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