もう8年も前に出版され、二刷もでているので既にこの本を読まれた方もいらっしゃるとおもいますが、改めて単独行遭難の実態とそして遭難への心掛けをしていただきたく、紹介いたします。
ノンフィクションライーター羽根田 治氏の山岳遭難シリーズ本を購入した。
彼のこのシリーズは共著を含め3冊持っている。「気象遭難」「道迷い遭難」そして「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」である。
この度の本の題名は「ドキュメント単独行遭難」である。この本の帯には『重傷を負い、あるいは道を失って山中にただひとり あまりに重い”自由の代償” 死亡率2倍の単独遭難の実態』とある。
この本の中には2000年から2011年までの単独行で起こった遭難が7件掲載されており、いかにして遭難に陥り、生き延び、助けられたかが記録されている。
羽田氏の筆が入っているので奇麗に文章はまとめられてはいるが、遭難者本人から直接聞き取った取材にもとづいていて、遭難者本人の手記によった「徳本峠」を除いては、第三者の目で語られる形式で、脚色はしていない。
登場する山岳は先の「北アルプス・徳本峠」以外に「奥秩父・唐松尾山」「北海道・羅臼岳」「秩父・両神山」「加越山地・白山」「北アルプス・億穂高岳」「尾瀬・尾瀬ヶ原」など7件、イージーな山からそれなりの技術が求められるものまである。
このうちの「尾瀬ヶ原」の遭難では年末の厳冬期に、山登りの経験が豊富な女性登山者が一人でラッセル訓練のために山に入り、途中猛烈な吹雪に巻き込まれ設営したテントが埋まるほどの積雪量に遭遇、それで余分なビバークを余儀なくされるもなんとか下山する。
しかし、登山届に記載した下山予備日を2日過ぎての下山ではあったので、所属する山岳会から既に遭難届がでており、「遭難」と認定されてしまったレアケース。こうした予備日の設定は難しく、本当の遭難状態になっている場合、長く予備日を取れば捜索が遅れ、短ければ、このケースのような騒ぎになってしまう。
その他、「熱中症」、「道迷い」、「転落・滑落」、「うっかりの骨折」、あるいは計画にはない、ちょっと欲をかいたため余計な行動をとってしまった結果遭難してしまうなどそれぞれ複合的な要因が重なり、思わぬビバーグを強いられ、もしくは正しい道を歩いていたにもかかわらず、油断をしたために途中で体力がつき、歩行を断念し捜索、救助活動が行われてしまったものなどが掲載されている。
この記事に出てくる人達は全員昨日から山始めました、という人はいない。登山回数はそれなりにあり、登山技術もそこそこ以上にあるのだが、単独行ゆえに、事故に遭った場合にすぐに下界との連絡が取れず、辛い時間を過ごした人たちである。
帯にもあった、単独行での遭難件数は複数人で行われる山登りに比べると約2倍となっているのは事実。それでも単独で山登りする人が絶えないのはひとつには自由をあじわいたいからだ。
ひとり黙々と山と対話しながら歩く、同好の士が身近にいないということもあろうが、すべて見えるもの、感じるものは自分だけのもの、それは何事にもかえがたい、そう感じるからの単独行である。
他人への気遣いをするのがわずらわしく苦手、あるいは時間を自分のペースで使いたいということもあって、もっと気楽な山登りを求める、ということもあるだろう。
であるので、一人登山は絶対悪ではない、とわたしも思う。著者も、またこの本に出てくる「遭難者」たちもそうしたリスクは承知のうえで、この先も単独行はやめなたくない、と宣言している。
ただし、それならそれでリスクマネージメントをしっかりする必要はある、と最後に著者はいう。
しっかりした登山計画をたて、登山届は必ず出す。この届けをだすか、出さないかは遭難して生死の分かれ目になる重要なもの。登山者がどこの山のどのコースをとったかが判ればば探しようがある、ということだ。特に道迷い、転落や滑落はコース外になるので、登山届、もしくは計画書の提出は必須である。
単独行では誰一人知らずに山にいってしまって、戻らなくなると実際探しようがない。遺体さえみつからない、そんな行方不明者が毎年幾人かでているのが現状。誰にも知られない、これでは遭難なのかさえ分らない。残された人のことを思えばそれは最悪だ。
絶対はないのが世の中で、それならそれでせめて、手がかりだけでも残す、というのが山登りをする人の覚悟の内であろう。
かくゆうわたしも山岳会に属さず家族もいず、山登りの友人たちとも疎遠になり、ひとり登山をすることが増えた。これはむしろ望んだことでもある。しかし、必ず特定の知り合いには登山計画を伝えるようにしている。
それが単独登山者の最低のマナーであることと承知しているからだ。といって、遭難するしないは、こうした心掛けがあるか、ないかで決まるものでもないし、例え複数人で登山しても遭難すると時は遭難する。
突然の火山の爆発や予期しない落石、大雨による路肩の崩れなど、気象変化によるもので起きる遭難もあるが、その時どうするか、だけではない。むしろそうした要因よりもちょっとした自分の判断ミスや気の緩みが主因の遭難が多いことを肝に銘じるべきだ。
行動中にも仮に遭難しかかったときどうするかは、登山者自身が常に頭の片隅に置いておくことが重要だ。
楽しい中にもリスクは隠れている、とし、家に帰り着くまでが山登りである、常にこれを忘れてはならない。
ノンフィクションライーター羽根田 治氏の山岳遭難シリーズ本を購入した。
彼のこのシリーズは共著を含め3冊持っている。「気象遭難」「道迷い遭難」そして「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」である。
この度の本の題名は「ドキュメント単独行遭難」である。この本の帯には『重傷を負い、あるいは道を失って山中にただひとり あまりに重い”自由の代償” 死亡率2倍の単独遭難の実態』とある。
この本の中には2000年から2011年までの単独行で起こった遭難が7件掲載されており、いかにして遭難に陥り、生き延び、助けられたかが記録されている。
羽田氏の筆が入っているので奇麗に文章はまとめられてはいるが、遭難者本人から直接聞き取った取材にもとづいていて、遭難者本人の手記によった「徳本峠」を除いては、第三者の目で語られる形式で、脚色はしていない。
登場する山岳は先の「北アルプス・徳本峠」以外に「奥秩父・唐松尾山」「北海道・羅臼岳」「秩父・両神山」「加越山地・白山」「北アルプス・億穂高岳」「尾瀬・尾瀬ヶ原」など7件、イージーな山からそれなりの技術が求められるものまである。
このうちの「尾瀬ヶ原」の遭難では年末の厳冬期に、山登りの経験が豊富な女性登山者が一人でラッセル訓練のために山に入り、途中猛烈な吹雪に巻き込まれ設営したテントが埋まるほどの積雪量に遭遇、それで余分なビバークを余儀なくされるもなんとか下山する。
しかし、登山届に記載した下山予備日を2日過ぎての下山ではあったので、所属する山岳会から既に遭難届がでており、「遭難」と認定されてしまったレアケース。こうした予備日の設定は難しく、本当の遭難状態になっている場合、長く予備日を取れば捜索が遅れ、短ければ、このケースのような騒ぎになってしまう。
その他、「熱中症」、「道迷い」、「転落・滑落」、「うっかりの骨折」、あるいは計画にはない、ちょっと欲をかいたため余計な行動をとってしまった結果遭難してしまうなどそれぞれ複合的な要因が重なり、思わぬビバーグを強いられ、もしくは正しい道を歩いていたにもかかわらず、油断をしたために途中で体力がつき、歩行を断念し捜索、救助活動が行われてしまったものなどが掲載されている。
この記事に出てくる人達は全員昨日から山始めました、という人はいない。登山回数はそれなりにあり、登山技術もそこそこ以上にあるのだが、単独行ゆえに、事故に遭った場合にすぐに下界との連絡が取れず、辛い時間を過ごした人たちである。
帯にもあった、単独行での遭難件数は複数人で行われる山登りに比べると約2倍となっているのは事実。それでも単独で山登りする人が絶えないのはひとつには自由をあじわいたいからだ。
ひとり黙々と山と対話しながら歩く、同好の士が身近にいないということもあろうが、すべて見えるもの、感じるものは自分だけのもの、それは何事にもかえがたい、そう感じるからの単独行である。
他人への気遣いをするのがわずらわしく苦手、あるいは時間を自分のペースで使いたいということもあって、もっと気楽な山登りを求める、ということもあるだろう。
であるので、一人登山は絶対悪ではない、とわたしも思う。著者も、またこの本に出てくる「遭難者」たちもそうしたリスクは承知のうえで、この先も単独行はやめなたくない、と宣言している。
ただし、それならそれでリスクマネージメントをしっかりする必要はある、と最後に著者はいう。
しっかりした登山計画をたて、登山届は必ず出す。この届けをだすか、出さないかは遭難して生死の分かれ目になる重要なもの。登山者がどこの山のどのコースをとったかが判ればば探しようがある、ということだ。特に道迷い、転落や滑落はコース外になるので、登山届、もしくは計画書の提出は必須である。
単独行では誰一人知らずに山にいってしまって、戻らなくなると実際探しようがない。遺体さえみつからない、そんな行方不明者が毎年幾人かでているのが現状。誰にも知られない、これでは遭難なのかさえ分らない。残された人のことを思えばそれは最悪だ。
絶対はないのが世の中で、それならそれでせめて、手がかりだけでも残す、というのが山登りをする人の覚悟の内であろう。
かくゆうわたしも山岳会に属さず家族もいず、山登りの友人たちとも疎遠になり、ひとり登山をすることが増えた。これはむしろ望んだことでもある。しかし、必ず特定の知り合いには登山計画を伝えるようにしている。
それが単独登山者の最低のマナーであることと承知しているからだ。といって、遭難するしないは、こうした心掛けがあるか、ないかで決まるものでもないし、例え複数人で登山しても遭難すると時は遭難する。
突然の火山の爆発や予期しない落石、大雨による路肩の崩れなど、気象変化によるもので起きる遭難もあるが、その時どうするか、だけではない。むしろそうした要因よりもちょっとした自分の判断ミスや気の緩みが主因の遭難が多いことを肝に銘じるべきだ。
行動中にも仮に遭難しかかったときどうするかは、登山者自身が常に頭の片隅に置いておくことが重要だ。
楽しい中にもリスクは隠れている、とし、家に帰り着くまでが山登りである、常にこれを忘れてはならない。
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